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インタビュー

講師 原口 淳様

バリアバリュー=障害を価値に変えていく事 ~見えないからこそ、人に伝えられる声がある~

株式会社ミライロ講師 原口 淳様

障害のある当事者が講師や調査を行うことによって、皆さんに
より身近に感じてもらい、多くの方に興味を持っていただいています。

Q.「ミライロ」について教えてください。

 

ミライロという会社は、ハードとソフトの両面のアプローチでユニバーサルデザインの提案や調査をしています。ソフト面ではユニバーサルマナー検定を実施し、多様な方々へのお声がけをどうしたらいいのかといったマインド部分を、ハード面ではバリアフリーの調査を行い、「本当に使いやすいのか」を検証します。障害のある当事者が講義や調査を行うことによって、皆さんにより身近に感じてもらい、多くの方に興味を持っていただいています。僕も検定の講師や視覚障害者の視点から調査をして、「この建物はどうなのか」「この点字ブロックは使いやすいのか」といった観点から調査をさせていただいています。

「バリアバリュー=障害の価値をプラスに変えていこう」

Q.入社したきっかけについて教えてください。

 

共通の知り合いを通じて代表の垣内と副社長の民野と知り合ったのがきっかけでした。垣内と民野がまだ大学生で、僕も大学を卒業したばかりでした。当時、大学内のバリアフリーマップを作る仕事をしていて、一緒にやってみたいと思って入社しました。
僕が通っていた大学は、視覚障害者を一度も受入れたことがなく、ノウハウもなければ設備もきちんと整っているわけではありませんでした。しかし、大学側が受入れ態勢を整えてくれたので、話をして何もないところから一緒に作り上げていくことができました。

 

大学に入学するまでは盲学校で生活をしていたので、自分たちが生活しやすい環境や授業を受けられる態勢は当たり前にあったのですが、社会に出ると当たり前じゃないんだなということに最初はすごいショックでした。その反面、大学の職員の方と話をして「じゃあ、こうしようね。」と一つずつ解決していく事により、段々と生活がしやすくなっていくのを感じ、周りの人たちの理解やコミュニケーションを円滑にとっていけば自分たちも生活しやすい環境ができていくという一つの希望が持てました。このような大学生活を送っていたので、垣内や民野の「障害のある方が生活しやすいように当事者の視点から伝えていこう、提案していこう」という姿勢がすごく新鮮でしたし「これこそ自分にしかできないことだな」と思ったので一緒にやっていこうという決断しました。

 

かつては「目が見えなくても出来ること」とか「とりあえず晴眼者の人たちと同じことをできるようにしよう」という考えでずっと生きてきました。何をするにも目が見えないことで諦めが先に立つことが多かったといいますか。「障害があるから無理だ、自分にはできない」という想いがずっとあったように思います。垣内や民野から「バリアバリュー=障害を価値に変える」という考え方を聞いたときに、これまでの自分の考え方は真逆だったと気づきました。

 

Q.入社して嬉しかったことや苦しかったことがあれば教えてください。

 

入社した当時と今を比べると会社の規模も大きくなりましたし、社会背景とも変わってきました。今では、大阪・東京・福岡と三拠点で一緒に会社を盛り上げていく仲間が増えたというところが一番嬉しいことですね。数か月単位で仲間が増えていくので、毎日が新鮮です。

ハード面について日本は本当に素晴らしいと思うので、
あとは人々の意識を変えていく必要があります。

Q.バリアフリーの現状についてどう感じていますか?

 

今は特に2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて人々の意識が変わってきていると感じています。また、障害者差別解消法ができたというのも1つのポイントですが、ここ20~30年に制定や改正された法律や条例によって、人々の意識は変わってきていると思います。

 

パラスポーツもそうですね。障害のある方が取り上げられる、話題に挙がる。そういう機会がすごく増えてきたと思います。これはとても良いことだなと感じています。しかし、2020年で終わってはいけないとも思っています。障害のある方が2020年で居なくなるわけでは無いですし、高齢者はこれからどんどん増加してきます。彼らとどのように向き合っていくのかをもっと考えていかなければいけないなと思っています。

 

Q.海外のバリアフリーはどうですか?

 

ブラインドサッカーの遠征でベトナム、プライベートで韓国とハワイに行ったことがありますが、この3カ国の中では日本がどの国よりも歩きやすいです。エレベーターの設置台数が多く、点字ブロックも普及しています。道路も綺麗に舗装されています。

 

ハワイや韓国は段差や階段が多く、エレベーターや点字ブロックは日本ほど設置されていませんでした。ベトナムは日本とは比べ物にならないくらいハード面は整備されていません。でも、ベトナムやハワイでは、周りの人が声を掛けてくれ、サポートしてくれる積極性は一番凄かったです。通りすがりの人が気さくに声を掛けてくれるんです。例えば飛行機を降りる時も、僕に同行者がいるのにも関わらず、現地のスタッフの方が自然と手を差し伸べてくれたりとか。前を歩いていたお客さんが声を掛けてくれたりとか。当たり前に声をかけてくれたので、僕自身もそうでしたが一緒にいた家族が何よりも驚いていました。

 

今でこそ世間の冷たい視線は少なくなってきましたが、僕が子供だった頃は目が見えない僕と歩いているだけで、家族もジロジロと見られていました。そういった過去もあり、海外の自然な対応に家族が一番感動していました。

 

ハード面については日本は本当に素晴らしいと思うので、あとは人々の意識を変えていく必要があります。講師という立場から、少しでもそのお手伝いをすることが今の目標です。

障害のある方と関わることへのハードルを
できるだけ下げてもらいたいなと思っています。

Q.ユニバーサルマナー検定や講演を通して伝えたい事は何でしょうか?

 

「会ったことがない、話したことがないから声を掛けられない」というお声をいただくことが多いんですね。なので、皆さんの前でお話しさせて頂くときに意識しているのは、「障害者をより身近に感じてもらう」ことです。ユニバーサルマナー検定や講演では、できるだけ楽しく話すことで、障害のある方と関わることへのハードルを下げてもらいたいなと思っています。

 

Q.話すときのコツがあれば教えてください。

 

僕は検定や講演に来てくださった方々の顔が見えるわけではないので、人の多さに圧倒されてしまうことがないんです。でも人がいないと思っても伝えたい事は伝わらないと思うので、いつも自分の目の前に一人の人を想像して喋っています。

ユニバーサルマナーが定義しているのは
「自分とは違う誰かの視点に立つこと」

Q.ユニバーサルマナー検定を受けた方からの反応はいかがでしょう?

 

とてもありがたいことに、検定を受けられた方から感想を頂くことは非常に多いです。

 

中でも嬉しいのが、梅田などで歩いているときに、声を掛けられる時です。「原口さん!」って名前を呼ばれて、「検定を受けた者です」と話しかけてくれるんです。そして、「検定を受けた後から困っている方に声を掛けられるようになったんです」などというお話を直接していただけるのは本当に嬉しいですね。こういうお声をいただけると、応援してくださっている方の為にも、もっとがんばらないとなと改めて思います。

 

Q.ユニバーサルマナー検定の真骨頂は何でしょう?

 

「障害のある方」とか「高齢者」とか、特別に考えてしまうと遠い存在や普段関わりがない人になってしまうかもしれないですけど、ユニバーサルマナーが定義しているのは「自分とは違う誰かの視点に立つこと」です。「自分とは違う誰か」という風に考えると、言葉のままですが「自分以外の人みんな」なんですよね。それが「目が悪くて電車に乗ることに困っている人」なのか、「階段の前で立ち止まっているベビーカー利用者」なのか、「店の入り口の段差に困っている車いす利用者」なのか。ただそれだけの違いということをお伝えし、目の前の人と向き合うきっかけを提供できることかなと思います。

「見えているか、見えていないかは放送部の大会には関係ない。
見えないからこそ、人に伝えられる声がある。」と  ずっと僕を応援してくれました。

Q.学生時代に放送コンテストで全国大会に進出されたことがあるようですが。きっかけは何だったのでしょう?

 

もともと盲学校に通っていたのでコミュニティがすごく狭かったんですね。「健常者の友達がほしいけど、盲学校の中ではどうすることもできない」という思いを持ちながら過ごしていました。転機は高校一年生の時でした。一般の高校で放送部の顧問を担当していた先生が、盲学校に赴任してきたんです。「もっと健常者の方と何かやりたいな」という話を伝えたところ、「じゃあ、放送の大会に出ようよ。そうすれば、別の学校の友達ができるんじゃないか」と言われたことが放送を始めたきっかけでした。元々、話をすることが大好きでしたし、まして健常者の方と同じ大会に出る機会は盲学校にはなかったので、2つ返事で大会に出ることに決めました。

 

これもまた不思議なご縁ですね。恩師と巡り合えたんですね。

 

そうなんです。当時何も考えていなかったんですけど、今思い返してみればその先生が「バリアバリュー」を教えてくれていました。障害があると、まず人とは違うことを知り、そこから生まれてくるのは「辛い」とか「悔しさ」で、どこかで「諦め」が出てくると思うんですよ。私も「自分は人と違うから無理だ、できない」と全てを諦めてしまっていました。しかし先生は、「見えているか、見えていないかは放送部の大会には関係ない。見えないからこそ、人に伝えられる声がある。」とずっと僕を応援してくれました。今はそれを体現できているなと思うと更に嬉しいです。放送部での活動によって希望が見えましたし、本当にありがたい出会いだったなと思います。

試合や練習をしているときは「見えないこと」を全く感じない

Q.ブラインドサッカーもされているようですが、魅力について教えて下さい。

 

元々スポーツが好きで、20歳の時にブラインドサッカーと出会いました。そこからずっとチームに所属していて、今も現役で続けています。

 

ブラインドサッカーはアイマスクをしたプレイヤーの他に、晴眼者のゴールキーパーとサイド(ゴールの場所を教える役)がいます。パラリンピックの正式種目としてはすごく珍しい、障害者と健常者が同じピッチに立ってプレイできる競技なんです。中でも一番魅力的に感じているのは、試合や練習をしているときは「見えないこと」を全く感じないことです。目が見える見えないに関係なく、みんなが対等な立場でそれぞれのポジションで役割を果たして、「チームのために1点を取るためにみんなが切磋琢磨している」そういうところが好きです。生活する上ではどうしても不便なことがありますが、ブラインドサッカーのピッチの上では目が見えないことを忘れてしまうんです。いいプレーをすれば「ナイスプレー」って言ってくれますし、ピンチを救えば「ありがとう」と言ってくれるんですね。しかもそれは目の見えるゴールキーパーからだったりするんです。その瞬間は本当に幸せで、すごくいい時間を過ごさせてもらっています。僕がブラインドサッカーを9年間ずっと続けている大きな理由ですね。

 

障害者スポーツ全般だと思うんですけど、本当にみんなが支えあって、一緒にプレーしているんだという所が、まず見ていてすごく魅力に感じる一つかなぁと思いますし、競技によっては誰でもプレーできる、みんなが一緒にできるという所も一つですね。折角3年後に世界トップレベルのパラスポーツを見られる機会があるので、多くの方に知ってもらいたいし見てもらいたいです。また、ブラインドサッカーのピッチ上の関係性を社会全体に広げていけるように、研修や講演にもっと力を入れていきたいです。

 

取材日:2017年10月12日

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