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インタビュー

福永 修 様

モータースポーツと社会貢献活動で
人に夢を与えるのが仕事

株式会社OSAMU-FACTORY代表取締役 福永 修 様

事故や病気で下肢機能に障害を負ってしまった。それでも自分の好きな車に乗りたい。そんな人たちの夢を叶えるため、マニュアルミッション車のシフトレバーにボタンを取り付け、手でクラッチ操作をできるようにしたアクティブクラッチ。開発したのは、株式会社オサムファクトリーの代表取締役・福永修様です。

 

会社経営者であり、全日本ラリー選手権のトップドライバーであり、福祉活動サークル・神戸ユニバーサル研究会の副代表。モータースポーツと福祉という2つの世界で多くの人を笑顔にする、その実態に迫りました。

 

オサムファクトリー様のオフィス前にずらりと並んだラリーカーと、車の間に立つ福永修社長

車好き・モータースポーツ好きの人の満足度を高めるお手伝い

Q.オサムファクトリー様の事業内容について教えてください。

 

事業内容はモータースポーツの専門ショップです。実用的なことではなく趣味的なことなので、極論すれば世の中に無くてもいいものなんです。だけどなぜ弊社のような会社があるかと言えば、楽しいから。「こんな車乗れたら嬉しい」とか「こんな車に乗るのが夢だった」とか。そういう人のモチベーションのためですね。

 

これからの自動車はモビリティ(移動手段)としての役割となり、我々のような元々修理屋からはじまった事業は無くなると思うんです。だけど楽しむコンテンツは、100年経っても200年経っても、それがどういう形であれ生き残ると思っています。

 

実用的な形で車というモビリティを使うようになればなるほど、僕らがやっているスポーツが脚光を浴びるんです。むしろモータースポーツはこれからです。だからその分野を貫いたモータースポーツ専門ショップ。すなわち、車好き、モータースポーツ好きの人たちがやりたいと思っていることの満足度を高めるお手伝い。それが我々の仕事です。

 

ラリー走行中、向かって来るような福永修の赤い車。

独立のためにがむしゃらに働いていた若いころ

Q.会社を設立された時期はいつでしょうか?

 

名前のとおり僕が創業者で、平成6年4月1日に独立しました。それまでは一部上場企業に丸5年勤めてました。で、法人にしたのが平成16年、ちょうど10年経ってからですね。

 

— 独立しようと思われたきっかけはなんだったんですか? —

 

鶏口牛後(大きな組織の末端にいるより小さな組織でもトップに立つべき、の意))という言葉があるように、とにかく自分でやりたいと。

 

僕の中では、親が家業をしてて自分は次男という立場だったから、10歳のときからいつか自分で商売をしたいと思ってました。で、13年待ってようやく23歳から起業したんです。だから何をするかを13年考えてた、と言っても過言ではありません。

 

— 会社員をされながらも起業を考えてらっしゃったんですか? —

 

もちろん。会社員やってるときも土日バイトに行ったりしてて。最後の1年は、昼夜逆転している自動車屋があったので、昼間はネクタイをして会社で働き、夕方帰ってきてから朝の5時までつなぎを着て自動車屋で仕事。で、1時間半寝てまた会社に行く、そんな生活でした。それで、「よし、もう一人立ちできる」と思って、はじめました。

 

— 今の仕事を選ばれたのはもともと車が好きだったからですか? —

 

好きだったのと、19~21歳のときにモータースポーツをやっていて成績も一気に上がっていったので面白いなと思いましたね。ただお金がすごくかかるんですよ。それで、いったんバシッとやめて独立の方向に照準を合わせました。

 

— それで独立された後にまた再開されたんですね? —

 

25歳のときにオーストラリアのWRCという世界ラリー選手権に、メカニックで参加する機会があったんです。それが今まで日本で自分がやってたモータースポーツと全然違ってて。これはすごいな、と。で、ラリーに魅せられて25歳からやりはじめました。

 

ラリーカーに乗り込み戦闘モードになっている福永修と助手席のナビゲーター

アクティブクラッチとともにユニバーサルスポーツを広げる

Q.アクティブクラッチについてお聞かせください。

 

すごく車が好きでずっと乗っているマニュアルミッション車がある、それで毎日通勤している、そんな人が会社の作業中の事故で足を失ったりして、自分の愛車に乗り続けることができなくなった。また先天性で、もともと足が無いとか短いとか不自由だったりとか。でも車が好きで、「僕この車に乗りたいんです」という人たち。それを乗れるようにお手伝いする、そんな感覚です。

 

僕はオリンピックパラリンピックという思想があまり好きではなくて。ぜんぶオリンピックでやったらいいと思ってるんです。なぜかと言うと車椅子テニスの国枝選手に、(健常者でもあの競技で)勝てる人はいないじゃないですか。だけど車椅子テニスっていう名称だけで下に見られてしまうんです。だから新たな名前にして、みんなが同じ土俵で戦うようにしたらいいだけだと思いますよ。

 

アクティブクラッチもその考えと一緒なんです。あれはひとつの(ガンダムの)モビルスーツだと。ガンダムを動かすアムロが手や足の不自由な方でもいいんですよ。

 

だから僕らも、「あの車めっちゃ速いやん、あの人なんていう人?」って言ってて、車から降りてきたら車椅子の人だった、とかね。でもその人が車椅子かどうかなんてどうでもいいんですよ。ひとりの選手としてクローズアップしてるから。車はひとつの道具として捉えてるだけなんです。

 

僕はそれが本当の意味でのユニバーサルスポーツだと思ってます。だから(ラリー会場で知り合ったライバル・トヨタの)章男社長に、「僕らはユニバーサルスポーツを目指してるんです」「モータースポーツは唯一のユニバーサルスポーツなんですよ」って言ったんです。

 

そしたら、また別のラリーの機会に、章男社長が僕らのテントまで来て、「ユニバーサルスポーツいいよね。使わせてもらってるよ」って、わざわざ言ってくれたんですよ。あの大社長が、ですよ。そのときはもうほんと「よっしゃー!」って思いましたね。僕らが思ってることって間違いじゃなかったって。

儲けよりもお客さんの「この車に乗りたい」に応えたい

Q.そもそもアクティブクラッチを開発しよう、と思われたきっかけは何だったのでしょうか?

 

海外製で同じようなのがあったんです。それがもう入手できないとか、やめてしまうんだ、って聞いて。すごいニッチな領域なのでビジネスにならないんですよ。なったらみんなやってますもんね。

 

それで無くなるっていうときに、こんないいものなんで無くなるの?これが無くなるのはちょっと……って思って。だったら一から自分か開発してみよう、というのがきっかけでした。

 

— やろうと決心してから完成までどれぐらいの年月がかかりましたか? —

 

正直、まだ完成品ではない、と言ったら怒られますけど。もう100台以上売ってますからね。ただお客さんとともに改善していってる状況ですね。

 

というのも、僕らのコンセプトは、「世の中にある自動車どれでも乗れるようにしたい」なんですよ。だからどんな車にでも付けてるんです。

 

— 今も1台1台お客さんの声に耳を傾けながら調整している、とのことですが、1号機を販売できたのは開発から何年ぐらいだったのでしょうか? —

 

3年ぐらい経ってからかなぁ。もう売っていかんと先ないよなぁ、もうトラブルは出ないだろう、と思って売り出しました。

 

でも売りだしたらトラブルいっぱい出てね。当初から比べるとだいぶ製品も変わってます。クラッチの仕方って人によっていろいろだし、車ごとのクラッチの重さとかもいろいろで、これは大変やなぁと思いました。

 

— じゃあ売り出した当初はお客さんからクレームもありましたか? —

 

いやもうクレームの嵐でしたよ。そりゃ、どやされる勢いでね。最初のころは「すいません、すいません」って全国あちこち謝りに行きました。「こんなもんいらんわ!」って言われて北海道まで外しにいったりとか。

 

— それでも諦めずに継続されたのはすごいですね —

 

まぁ、そうですね。やはり継続は力なりだなと思うのと、今は絶対お客様に来ていただいてセッティングして、きちんとした説明をするというふうにしています。

 

だから正直いまのペースでいいと思ってます。たくさんの人に喜んではほしいけど、いっぱい売って、というよりフォローできる範囲で、という感じです。なので将来はどこかの大企業にがさっと量産対応してもらってもいいんです。きっかけが僕やった、っていうだけで。

 

少なくとも僕と一緒に生きた年代の人たちには、喜んでいただけたし、楽しんでいただけたし、一緒に夢を叶えられた。それでいいと思ってます。

 

ただ僕みたいなコンセプトで、お客さんが絶対これに乗りたいっていう車に合わせて対応するのは、ビジネスでは難しいと思います。車種限定で、この車だったらトラブらないからってパッケージング化して、大量生産するのなら可能でしょうけど。でも僕はそんなのしたいと思ってないから。押し付けは嫌なので。

 
運転技術を生かしてもっと社会に貢献したい

Q.続いて、福永様がされている活動の中のセーフティ・ドライビング・フェスタについて教えてください

 

わかりやすく言うと、自立支援のイベントです。兵庫のリハビリテーションセンターなどに入院している方で、社会復帰を目指しながらも、車に乗り出すことができないとか、車に乗りはじめるきっかけがほしいとか。そういう人がいらっしゃるんです。

 

— 実際に車に乗り込んで運転されるのですか? —

 

はい。チーム内に、教習所の教官を仕事としてやってる人がいるので、横に乗って指導します。事故後初めて運転した、という人もいるんですが、「あ、なんかいけそうな気がします」とか「習熟訓練をやるきっかけになりました」って喜ばれることもあります。

 

これも定期的にやらせてもらってるんですが、コロナ後は1回もできてないのが残念で。僕らは車の運転が人よりもちょっとだけ長けているので、そこをもっともっと社会に貢献したい、という想いがありますからね。

視覚障害者も車の運転を楽しむことができる日がきっとくる

Q.個人的なご見解で結構ですが、視覚障害者もいつか車を運転できるようになると思われますか?

 

絶対できますよ。これだけセンサーが発達してるんですから。ただ、運転するという概念ではないのかもしれません。最初にも言ったモビリティの世界の話になってくるんじゃないか、と。だから運転という言い方とはちょっと違うけれど、それでもどこかには人が介在しないといけないハザマがあると思うんです。

 

将来は自動運転でボタンを押したら目的地に行ける、となってくるでしょうけど、いきなりその段階にはいかないですよね。その間のところに喜びを感じる部分があるはずです。「ついに自分でも運転できたー」っていう楽しい部分が。

 

過去に全盲の人がパーソナリティやってるラジオ番組に出させてもらったときに、運転の話になったことがありましてね。「私、全盲だから車運転したことないけど乗れますか?」って言われて。僕が「絶対乗れますよ」って答えたら、その人の表情がぱーっと明るくなったのをすごく覚えてます。

 

もちろんメーカーも考えてるでしょうけど、そういうお手伝いを僕らができたら本当に嬉しいな、と思いますね。

まずは日本チャンピオン!そしてみんなに元気を!

Q.では最後にいま一番力をいれていること、もしくは今後やりたいと思ってることを教えてください。

 

いま一番注力しているのは(全日本ラリー選手権の)日本チャンピオンですね。タイトルが10月で決まるので。10月16・17日と30・31日の残り2戦、とにかくそこに注力して、王者トヨタに勝つ。これに尽きます。

 

僕は人に夢を与えるのが仕事だから。こんなおっさんでも日本チャンピオンになれるんだ、とか。資産家でもないしお金借り入れしてこの車買ってやってるんで、何も後ろ盾ないんですよ。だけど日本一になれるんだ、その先は世界一にもなりたいんだ、ってね。

 

人っていつ死ぬかわからないじゃないですか。死の間際に悔いが残ってる、というのは嫌なんです。だから自分のやりたいことを最優先して、悔いのない人生を送る。そのことをみんなに伝えて、みんなも「一緒になってやりたいです」ってとにかく元気になってもらいたい。

 

障害の有無に関わらず福永様と一緒に夢を追いかける仲間の皆さん

 

※)福永・齊田チームは、最後の最後まで勝田・木村チームと熱戦を繰り広げましたが、最終10月31日惜しくも優勝を逃し、全日本タイトル獲得の夢は叶いませんでした。それでも多くの方がその走りに勇気をもらったのは紛れもない事実です。まだまだ福永様の挑戦は続いていくでしょう。

 

オサムファクトリー様HP:http://osamu-factory.jp/

 

取材日:2021年10月7日

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