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インタビュー

私たちは、夢を持って走り続ける方を応援しています。
障害の有無に関わらず、何かに一生懸命に取り組んでいたり、チャレンジしている方にお話を伺い、
明日への活力になるストーリーをご紹介してまいります。

須惠 耕二 様 「盲学校のアイデア」と
「大学のものづくり」が生み出す絆
熊本大学 工学部技術部 電気応用グループ グループ長 技術専門職員須惠 耕二 様

Q.全国の盲学校へ教材をプレゼントされているとのことですが、活動の経緯について教えてください。   日頃は学生実験の指導や学科の先生たちへの実験装置の開発などをしています。 7年ほど前に、工学部内で「学生のものづくり教育プロジェクト」がありました。我々が学生に「ものづくり」を教えようというものです。 丁度同じ時期に、大学内で技術職員の全国大会がありまして、当時、他大学で視覚障がい者の教材を個人的に開発されていた方が参加されておりました。彼が発表された内容を聞いて、非常に衝撃を受けました。日頃私たちの仕事というのは、学内で学生に向けての教育で、直接外に繋がっていく働きをするというのが、全然頭に無かったものですから。   技術系の職員は先生や生徒をサポートすることが「当たり前」と思っていたところに、「あ。そうか。別に外に出てもいいのか。自分から動いてもいいのか。」という感覚になったということですね。   そうですね。大学の外に対して直接的に関わりを持って活動されていることに衝撃を受けましたね。しかも、誰かのサポートを受けるわけでは無く、仕事の中で自分自身の研究テーマとして開発をやっているということがすごいなと。   我々はどちらかというと、立場的に先生たちの支援であったり、学生たちの指導であったり、サポートしていく仕事が多いものですから、自分から「独自」で外と関わりを持って動かれていることに、目から鱗といいますか。働き方という意味では衝撃だったといいますか…、驚きでしたね。   もちろん学生に教えるのが仕事ではありますけれども、発表を聞いてからは「このままでいいのかなぁ…」と、一月半ぐらいずっとあれこれ考えているうちに、段々と「何かした方がいい」というより「すべきだ」という想いがとても強くなりました。   しかし、熊本大学では教育学部も含めて視覚障がいの先生と繋がりがある方がいらっしゃらなくて、伝手が無かったんですね。仕方が無いので、腹をくくって、熊本盲学校さんへ飛び込みのお電話をしました。 「何をしていいのかわからないのですけれど、何かお手伝いさせてください」とお伝えしたのですが、当時の教頭先生は、今の言葉でいう「塩対応」ですね(笑) 当然、先方からしたら突然こんな電話が来たら怪しむのが普通なんですけどね…(笑)   電話した経緯をすべてお話したのですが、「こっち(須惠さん)の仕事にとっておいしい部分がある」というようなことを想像されたんだと思います。私としては決してそういうつもりではないことを正直にお伝えしたところ、教頭先生が「一度、盲学校に来てみませんか?知ってみて、考えてみてください。」とお話しくださったので、翌週にお邪魔させて頂きました。   当日は、全盲の先生含めて、4名の先生がご対応くださり、盲学校の教育について2時間かけてじっくりご教示くださいました。そしたら、益々何をやっていいいのかわからなくなっちゃったんです(苦笑) 大風呂敷広げたはいいけど、「うわぁ…!どうしよう!」というのが率直な感想でした(笑)   それを察した先生方が「まぁ、持ち帰ってゆっくり考えてみてください」と話してくださり、お暇しようとしたときに、同席されていた「教具コーディネーター」の先生に呼び止められ、「修理して欲しいものがあります」と言われました。   パソコンに繋いで点字のキーを打てば読み上げてくれるソフトでしたが、これを開発された先生が文科省に移られたことと、パソコンも古くなって破棄してしまった、とても役立っていたものなので修理して欲しいとのことでした。 実物を見たら、手作りのキーから電線が7本くらい出ているだけの部品だったんですね。一度、持ち帰らせてもらって、グループの若い人たちと一緒に話をして「みんなでやってみよう!」ということになりました。   そして、開発に入ってから一か月半後に試作品を持っていきました。 すると、ものすごく喜んでくださって「是非これを置いて行ってほしい」と言われたのですが、まだ試作段階だったため、「クリスマスまで待って頂けますか?そしたら、学生たちで作ったものをプレゼントにしてお届けしますから。」とお話させて頂きました。   その際に、いくつか先生方から提案や要望頂いた内容も加味して改良を施し、大学生に作らせてクリスマスにプレゼントしました。当時、熊本盲学校さんには目の見えない小学校一年生の子が3人同時に入学されていたので3台製作しました。   結果、大変喜んで頂けて、製作した教具には録音機能がついているのですが、その機能を使って盲学校の生徒さんが「ありがとう」と打ってくれまして。製作した大学生もその場にいたのですが、「プレゼントを渡しに行ったのに、僕たちがプレゼントをもらったみたいな気持ちです。」と言ってくれました。今回、修理依頼がきっかけとなりましたが、やってみてよかったなと思いました。   年明けに盲学校の先生から、「これを是非全国に紹介したいです。2月に奈良で研究会があるので持って行ってもいいですか?」とお問い合わせ頂きまして、僕たちも参加させて頂くことになり、その場紹介頂させてきました。   そこでアンケートを取ったのですが、60台くらい欲しいという結果になりまして、「うわぁ!これは大変だ!」ということになり、現在の活動が始まっていきました。

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面 雅樹 様 寄付を通じて感じた想い
~多様性を受け入れられる社会へ~
株式会社トルハート 代表取締役社長面 雅樹 様

Q.弊社とは御社からのお問い合わせを頂き、ご縁がございました。 きっかけは何だったのでしょうか?   盲学校さんへ寄付をしようと思いまして、私としてはカーテンを寄贈しようかと思っていました。 弊社は、床材、壁紙、カーテン、家具などの内装材の卸問屋をしておりますが、本社は金沢にございまして、そこでは、カーテンの縫製もしておりましたので。 しかし、盲学校さんの方から「仮設的に設置できるのもが欲しい。」「誘導マット(歩導くん)がいい。」とご要望がありましたので、「それでしたら、その方がいい。」と思いまして、歩導くんを寄贈することにしました。   お望みのモノであればと。   そうですね。それが寄付の一番の目的ですし、こちらとしても、望んでいる物を寄付したいという想いはございますので。   そもそも寄付をしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?   3年前(取材時は2018年)の3月の中頃でしたかね。金沢に切符を買いに行きました。その時、年配のご婦人がティッシュペーパーを配っていたのです。 アルバイトか何かな?と思ったのですが、それにしては、「○○店です。よろしくお願いします。」といったような声も聞こえず、ぼそーっと近づく感じで、何と表現したらいいのか悩むのですが…。なんとなく違和感がして、その時は通り過ぎたんです。 そしたら、その先にで石川県の盲学校の方が「点字ブロックの上に物を置かないでください」という啓発活動をしていたんです。 それを見て、先ほどティッシュを配っていたご婦人のお子さんが、盲学校に通っているんだなとピンと来たんです。自分が取った行動が恥ずかしいと感じまして、慌ててティッシュペーパーを受け取りに戻りました。   私の勝手な想像ではあるのですが、これが社会の現実なんだな。と思いました。 「いろいろ訴えかけても無視されて、思い通りに行かない。」 そんな社会を凝縮したような場面で、私は「通り過ぎる」という行動を選択してしまったことに大変恥ずかしくなりました。   違和感というのは?   そのご婦人の雰囲気が非常に控えめでして、ご自身でもどういう風に(啓発活動を)したらいいのか分からない。慣れていいないという感じが、すごくしました。 私は普段ティッシュペーパーを受け取るタイプなのですが。その、慣れない違和感から、受け取らなかったことが、今まで社会が障がい者に対して目を向けていないことと同じようなことをしてしまったなと、非常に反省しました。 今でもその時頂いたティッシュペーパーを持っています。     「点字ブロックの上に物を置かないでください、自転車を止めないでください」など、当然のこと言っているだけなのですが、自分がその人の立場に立てないと、狭い道路とかですと自転車が止めてあったりしますもんね。社会が関心を向けてくれないというのは辛いだろうなぁ…。というのを感じました。   そして、冒頭でお話したように、その後、盲学校さんにお電話をしまして、「このような商売をしているんですけれども、何かできませんか?」とお伝えしたところ、誘導マットのご希望を頂き寄付しました。

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photo-no-img 笑顔をプレゼントできる体育館を目指して 奥州市総合体育館館長 髙橋 淳様

Q.体育館と使用状況について教えてください。   平成10年4月にオープンし、当時合併前で水沢市として、平成11年のインター杯のために建設した体育館です。平成9年、10年あたりが岩手県内で体育館の建設ラッシュでした。一関市と、現在で言うと奥州市、北上市、花巻市、宮古市に大きな体育館が作られました。建設当初では、本体育館の1フロアの大きさは東北で一番でした。 インターハイ後も、2016年の岩手国体・いわて大会(障害者スポーツ大会)。その他にも全国中学校体育大会、プロリーグでしたり。今でしたらbリーグ(正式名称:ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)とか、バレーボールであればVプレミアリーグとか、日本の大きな大会なども開催し、もちろんこの地区の小・中・高・一般の方にも多く使われている施設です。   地元の方にも広く使われている施設なんですね。   そうですね。あまり、大きい大会ばかりだと敷居が高いように思われるので。そうでは無くて、広く一般的に使っていただいている体育館ですね。   アクセスも決していいというわけでは無いのですが、地方は車社会ですので、比較的駅からも近いですし、ご利用いただきやすいかと思います。

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代表 白倉 栄一 様 車いす目線から見る真のバリアフリーとは バリアフリースタイル代表 白倉 栄一 様

Q.現在の活動に至るまでの経緯について教えてください。   24歳の時に交通事故に遭い脊髄損傷となりました。車いす生活になって初めて、ホテルのバリアフリールームを予約したときの出来事が起業に至るきっかけとなったんです。   実際に行ってみると、ただ単に広いだけの部屋で、トイレには段差があり、ドアの幅も狭かったんです。これではバリアフリールームと呼べるようなものではなかったです。仕方がなかったので、その旨をホテルのフロントへ伝えたところ、「我慢してください」と言われたんです。そのときは「えっ!」と驚きましたが、今のようにバリアフリールームが多く設置されている時代ではなかったので、他のホテルを探すこともできなかったと思います。ちょうど2000年前後ぐらいの出来事だったような…。   この経験をしたことで、情報が正しいものでないと、私と同じ立場である車いすユーザーは、間違いなく戸惑うだろうし、安心して外出できなくなってしまうだろうなと痛感しました。   それがきっかけで、仕事の休日には、いろいろなスポットに外出して、バリアフリーの情報を自ら探すことにしました。そして集めた情報を自分のブログで紹介したらどうかな?と考えるようになったのが、ちょうど2005年頃でした。しかもたまたまこの時期にブログというものが流行りだし始めていたので、気軽な気持ちでブログを始めてみました。   Q.どのようなことを掲載されていたのですか?   大したことではないんですけどね。写真を撮って、住所を掲載して、「ここにはトイレがありますよ。身障者用の駐車スペースがありますよ。」ということを発信していた程度です。加えて、近くに面白いスポットがありますよ。などの情報も加えて、ほぼ毎日、投稿していました。でも、はじめのうちは、私のブログを見てくれる人はいなかったですね。それでも、徐々に閲覧者が増えていき、「あなたがアップしてくれたから助かりました」という喜びの声を頂くようになったんです。   その後、2010年頃から「バリアフリーで何かお仕事ができないかな…?」と思うようになりました。ただ当時はイオンで、仕事をやりながら、労働組合の活動もしていたため、忙しさのあまり、本格的に起業を考えることはできませんでしたね。   さらにその後も「人のために何かできないかな」という思いが日々強くなっていたのですが、店舗の人事総務課長に就任したこともあり、より忙しくなってしまいました。そのため起業に向けて行動をする余裕は、全くなくなってしまいました。   仕事はかなり充実していて、手前味噌になりますが、2013年下期にてイオン全449店舗を対象にした顧客満足度で全国1位の店舗として表彰をうけることになりました。これは長い間、自分が関わってきた従業員のQC活動によるチームビルディングが、お客さまへの接客・応対に影響したことだと思っています。まさに「ES(従業員満足)なくしてCS(お客さま満足)なし」で成し遂げたことだと思っています。このときばかりは、従業員のみんなと喜び合ったのを覚えています。   しかし私の所属していた店舗は、つくばエクスプレスの誕生によって、街が大きく変わり、大型ショッピングモールが次々と建設される地域でして、競合店との兼ね合いもあり、2015年9月をもって残念ながらお店が閉店してしまったんです。閉店後は別のイオンの店舗に異動したのですが、このときに少し気持ち的に余裕が出てきました。そこではじめて、本格的に起業を考えることになったんです。   当時42~43歳くらいでしたが、会社が嫌だったとかではなく、「今の自分の仕事は他の人でもできるだろうな。でも、バリアフリーの仕事は自分だからこそできるよな。」と考えるようになり、「これからの人生は、自分のやりたいことを正直な気持ちでやってみよう!」と思ったことで、起業の学校に通い始めることになりました。

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松下 昭司 様 今ある歩行環境を安心して歩くために 日本ライトハウス 視覚障害リハビリテーションセンター 養成部指導員・指導者養成課程教官 松下 昭司 様

Q.歩行訓練について教えてください   歩行訓練士になるためには「視覚障害生活訓練等指導者養成課程」という2年間の課程を受けます。 何をするかというと、実際にアイマスクをして、どのように視覚障がい者が歩行技術を習得していくか。ということをまずは勉強します。その後、実際に(視覚障がい者に)教えるという、模擬授業のようなことをしています。アイマスクをして電車に乗ったりもします。 この養成課程は、4月から10月までは歩行訓練に特化した授業ですけれども、10月からはそれ以外の訓練をします。例えば、パソコンとか点字訓練とか、あとは日常生活訓練(歩行・コミュニケーション・スポーツ以外の事)は、お茶を淹れるとか、料理をするとか、洗濯物を畳んだりすることですね。私はパソコンと調理と墨字の訓練の担当もしています。 歩行訓練士の中には、歩行訓練だけでなく、生活訓練全般を受け持っている訓練士も多くいます。   Q.松下さんは何を担当されているのですか?   私は歩行実技と講義では歩行環境や地図を担当しています。 講義の中で、視覚障害者誘導用ブロック(以下点字ブロック)の敷き方とか音響信号とかを、基礎的な知識を講義した後、実際の点字ブロックの写真を持ち寄り、なぜこんな敷き方をしているのかを議論したりする講義があります。ですので、街中の点字ブロックの敷き方が気になったりします。   点字ブロックの敷き方一つにしても、色んな敷き方をされているんですよね。 「使いにくいな」という議論で終わるのではなくて「どういう意図でこのように敷設したのか」、「だからこういう風になっているんだね」という議論をしているのです。   視覚障害者の中でも、様々な特性があり、ある人に使いやすい歩行環境でも、ある人には使えないものもあるんです。 でも、「折角ある歩行環境なら、それを有効に使うためには歩行訓練でどのように活かしていったらいいかな。」という事を伝えるようにはしています。 例えば、「触地図」なんですけど、あれって触っている人をあまり見かけることがないと思うんですよね。なぜかというと、あれは触り方を知らないと理解しにくいということと、説明を受けながら触地図に触った方がわかりやすいとかあるのですけどね。 大体議論されるのは、あんなところに置いていても、全然誰も使わないよね。っていう事になるんです。 では、この触地図を歩行訓練で使うとどういう意味があるのかとか、これを使って歩行訓練できるかな?というように議論しながら授業をするように心掛けています。   ある受講生が、「調査している中でとある触地図を触ってみると埃だらけだったので拭いてきました。触るものなのに埃だらけで、いつだれが触ってもいいように拭いてきました」と。そういう目を指導者には向けてほしいなと思いますね。

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齋藤 真木様の写真 「気付く心眼」を持つ
介護福祉士を育てるために
松本短期大学 介護福祉学科講師 齋藤 真木様

Q.松本短期大学の介護福祉学科について教えてください。   松本短期大学は、長野県松本市の郊外、松本空港のそばにあります。 昭和46年に松本保育専門学校として開校し、現在は、幼児保育学科、介護福祉学科、看護学科の3学科約500人の学生が学んでいます。その中で、介護福祉学科は平成5年に介護福祉士の養成校としては、全国の大学・短大の中ではいち早く開設されました。   今までは、介護福祉士の養成校を卒業すると同時に介護福祉士の国家資格を得ることができましたが、法律が変わりまして、今年卒業する今の2年生からは、卒業時に国家試験の受験資格が得られるということになりました。つまり、卒業直前に国家試験を受けて合格して、初めて介護福祉士として働くことができるのです。   そこで、本校は、卒業前に国家試験を受けて全員合格して、質の高い介護福祉士として現場で活躍できることを目標とした教育内容となっています。 2年間の学習内容としては具体的に、「人間と社会」という領域で、社会のしくみや、法律・制度、人の権利や尊厳といったところを学び、2つめに「こころとからだのしくみ」という領域で人の心や身体のしくみ、病気や障害などについての知識を得て、3つめに「介護」という領域で、介護を必要としている人が豊かな自分らしい生活を維持していただけるような、様々な生活支援の技術などを学んでいきます。 さらに、うちは短大ですので2年間かけて、各自で決めたテーマで介護福祉研究を行い、論文にまとめ、パワーポイントを使って学内で研究発表会を行っています。その時には、学生のご家族や実習先の施設の方々も駆けつけてくださいます。

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長野県松本盲学校 校長の写真 「夢」を描ける盲学校を目指して 長野県松本盲学校 校長矢野口 仁 様

Q,盲学校について教えてください。   盲学校とは、視覚障害がある方々のために設立、運営されている学校です。 一番目の目的は、その方々に障害があっても将来的に自立して社会参加をして頂くために、私共がお力添えをさせていただくことでございます。 クラスは、大きく分けて2種類ございます。一つは「単一障害学級(視覚障害のみ)」【適切な器具や学習方法を工夫することで小中学校、あるいは高校に準ずる教育を行う学級】。もう一つは「重複障害学級(視覚障害に加え聴覚障害や知的障害等の複数の障害がある)」【障害の状況に合わせた特別な教育課程で教育を行う学級】です。   学級の所属は、一人ひとりに対して、どのような障害の状況でいらっしゃるのか、また、何を目指していきたいのか等について、ご本人や家族のお気持ちや意思を丁寧に聞かせて頂いて、出発点を聞き取っております。諸検査も丁寧にするように努めています。見え方は百人百様あるものですので。 見えにくさの実態やご希望に合わせて、どういう教育を組んだらいいのかを、できるだけお一人お一人に合わせて考えるようにしております。   また、盲学校はどこも人数が少ない学校なのですが、その一方で知的障害や肢体不自由のお子さんたちの割合が増えている現状があります。また、複数の障害があるお子さんも増えているため、学校を再編成するときに盲学校とほかの障害種の学校を同じ敷地に建てていこうとする流れが全国的に広がっています。 その際、私どもとしては、他の障害種の方々と混合するのではなく、盲学校の場所と先生方は用意していただいて、その代わり、交流をうんとやりましょう、というコンセプトでお願いをしております。 体育の授業を例に挙げますと、それぞれに一番適した種目というものがあって、両方を同じ空間で同じメンバーでというのは難しいんですね。なので、それぞれに適した環境を用意して授業は別々で行いますが、その代わり、音楽など一緒にできるものは一緒にやりましょう、と言ったフレキシブルなものですね。

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