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インタビュー

私たちは、夢を持って走り続ける方を応援しています。
障害の有無に関わらず、何かに一生懸命に取り組んでいたり、チャレンジしている方にお話を伺い、
明日への活力になるストーリーをご紹介してまいります。

NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる 事務局長 様の写真 盲ろう者の仲間とともに
心から笑顔 になれる場所
NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる 事務局長石塚 由美子 様

聞こえない聞こえにくい、見えない見えにくい。それらが組み合わさった重複障害の方々を盲ろう者と言います。ヘレンケラーの伝記を読んだことがある人は多くても、今私たちと同じこの社会で暮らしている盲ろうの方々について正しく知っている人はどれだけいるでしょうか。

 

大阪・鶴橋駅近くの盲ろう者が集う場所、NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる。ここではさまざまな活動を通じて、盲ろう者が生き生きと暮らせるよう支援されています。

 

事務局長で聴覚障害当事者でもある石塚由美子様にお話を伺いました。少しでも理解を深めていただけるきっかけになれば幸いです。
(石塚さんは視覚に障害はないため盲ろう者ではありません)

「すまいる」ってこんなところ

Q.現在すまいるには何名ぐらいの盲ろうの方が通われていますか?

 

登録者としては17名です。(2022年4月時点)
他にろう者もおられます。また盲ろう者はひとりで移動するのが困難なので、通訳介助者と一緒に来られています。ですので同じ数だけ通訳介助者もいることになります。あと職員が固定で11名、ボランティアもいるので、だいたい毎日35名ぐらいは集まっていると思います。

 

ただ通訳介助者は、利用者がすまいるで活動している間の給料は支払われません。すまいるは就労継続支援B型事業所なので行政から補助金をいただいています。そのためB型で作業中の利用者に、通訳介助者としてサポートすると制度の二重使いになります。とは言え、作業中も盲ろう者への情報提供は必要なため、ボランティアという形で無給でお世話をしていただいてます。ほんとうに皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

手話を使って丁寧に受け答えしてくださる石塚さん

 

Q.利用者さんはB型事業所の作業をされている方ばかりですか?

 

そうです。企業の方から内職をいただいて皆さん作業をされています。それが活動の中心なのですが、仕事だけでなく情報提供にも重きを置いています。月に1回、時間を設けて社会で起きているニュースなどをお伝えしています。その間は仕事はいったんお休みです。

 

盲ろう者同士での意見交換も大事なので会議も行います。盲ろう者が中心となっていろんな企画を考えてみんなで一緒に楽しむ行事をつくるとか。あとはパソコンを学ぶ時間もありますし、幅広い活動をしています。ほかにはヨガ、空手、タップダンスなどのクラブ活動もやっていて、皆さんの健康増進をかねたリクリエーションにも力を入れています。

「すまいる」には仲間がいる

Q.すまいるにご相談される方はどのようなお困りごとを抱えていますか?

 

一番はやっぱり生活に関する困りごとですね。盲ろう者はご家族と暮らしている方が多いですが、将来はひとりになってしまう。「どうすればよいか」「不安が大きい」などです。そのために盲ろう者向けのグループホームを5年前に立ち上げました。

 

あと、盲ろう者は家に引きこもっている方が多いので、ご家族からお問合せをいただくこともあります。ほかには通訳介助者からも相談をいただいたりします。

 


Q.相談された方がその後すまいるを利用するようになって変化はありますか?

 

もう、それはすごくあります。役所で知ってここに来られたりするのですが、最初はほんとうに暗いんです。自分は何もできないんだ、と悲観的に捉えておられて。触手話もすまいるで初めて経験される方が多いので、これで会話ができることにまず驚かれます。

 

私が「ここには他にも盲ろうの方がたくさんいますよ」と言っても最初は信じてくれない人もいるんです。どうしてなのか、後でわかったのですが、「こんな障害を持っているのは自分だけだ」「可哀そうだから同情して他にもいると言っているんだ」そう思っている人が非常に多いです。

 

でも実際に同じ障害を持つ盲ろうの方と交流を深めていくうちに、「自分だけじゃなかったんだ」「同じような障害を持つ仲間がいる」「聞こえなくなったり、見えなくなった経緯や生い立ちも似ている」そう気付いて、そこから変わっていかれます。

 

ご家族や役所の方から、点字を覚えたほうが良いとか白杖を使ったほうが良い、といったアドバイスを受けても自分はできないと思い込んでいる人も多いです。それが同じろうベース(元々耳が聞こえなくて、後から目が見えなくなった人)の盲ろう者が点字で本を読んでいる、なかにはパソコンを使っている人もいる、と知って火がつくようです。自分も覚えたいと言って勉強を始められます。

 

だから仲間の存在はすごく大きいです。仲間がいるから切磋琢磨できますし、仲間の助けがあるから頑張れるんだと思います。

 

通訳の方を交えて話が展開していくインタビュー風景

コミュニケーションはいろいろ

Q.コミュニケーションの手段にはどのような方法がありますか?

 

元々ろうの方は手話を身に付けておられます。その後見えなくなった場合、手話に触れてコミュニケーションを取る「触手話(しょくしゅわ)」を主に使われています。元々盲の方で聞こえなくなった場合は、点字を指に打つ「指点字」があります。ただこれを使用されている方は非常に少ないです。あと、難聴者の方はマイクを使って音声でコミュニケーションされたり、手のひら書きというとても簡単な方法や、指文字に触れる方法もありますし、視力が残っている方であれば接近手話を使われたりしています。ほんとうに人によってさまざまですね。

 

最近は背中に書く「サイン」を使われることもあります。情景を伝えることが多いのですが、人が話をしているのをみんな聴いているとか、拍手をしている、誰が入ってきたというのを合図するんです。

 

素早い手の動きで真摯にお話してくださる石塚さん

 


Q.コロナ禍で生まれた新たなコミュニケーション方法はありますか?

 

難しいですね。コミュニケーション方法は変わりません。盲ろう者の場合、離れてしまうとコミュニケーションができないんです。触れる、というのが基本ですから。なのでお互い感染対策に気を付けて、ということになりますね。

 

ただ、最近パソコンを覚えられた盲ろうの方がいて、メールでやり取りをしたり、情報もご自分で入手されたりしています。コロナになってから自分もパソコンを覚えたい、という方が増えましたね。

もっと盲ろう者向けの施設を

Q.では今後について伺います。直近で何か計画されていることはありますか?

 

本来であれば、すまいるの創立記念イベントをやりたいですし、触って楽しめる旅行なども計画したいと考えています。2年後が25周年なのですが、このような状況下ですので難しいかもしれません。でもコロナで何もできないとなると、皆さん落ち込まれますし、どうしようか迷っているところです。

 

すまいるには和太鼓クラブがあるのですがそれも今は活動できていません。和太鼓って体に響いて盲ろうの方にもわかりやすいんです。ですが音の問題があるので街中ではなかなかできなくて。練習場所が少し離れていて公共交通機関を使うのですが、それも今ははばかられますし……。代わりになる他の何かないかなぁと探しているところです。

 


Q.最後に、将来のすまいるとしての目標とか夢などがあればお聞かせください。

 

もっと盲ろうの方に集まっていただいて、施設的にも大きくできればと思っています。それと先ほど申し上げたグループホーム。今の定員が10名なので、2号棟3号棟と建てられたらいいなぁと思っています。

 

現在盲ろう者は全国に14,000人いると言われています。でも盲ろう者向けの施設というのは他にはないんです。今のところすまいるだけで。他の地域の方は、聞こえる方と一緒になるか、ろう者の施設に入るぐらいしかないので、盲ろう者向けの施設をもっと作っていきたい、という想いがあります。

 

※今回の取材には通訳者の山塚様にご協力いただきました。
こちらのまとまりのない質問を適格に手話で伝えてくださるその技術の高さに感心しきりでした。

 

阿吽の呼吸で通じ合う石塚さんと通訳の山塚さん

取材日:2022年4月12日

 


NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる様HP
http://db-smile.jp/index.html

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特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワーク(通称SPAN) 理事長 様の写真 ICT活用の強力バックアップで
視覚障害者の就労に光を灯す
特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワーク(通称SPAN) 理事長北神 あきら 様

今では一般企業で働く視覚障害者の数も少しずつ増えてきました。要因として最も大きいのがパソコンです。見えにくい人は画面の拡大や白黒反転をして、また見えない人はスクリーンリーダー(音声読み上げソフト)を駆使して仕事ができるようになりました。

 

長年にわたって、社会にこうした土壌を築き上げてきた中心的存在とも言えるのが、特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワークSPAN(以下、SPANと称する)です。

 

SPAN設立から将来のことまで、理事長の北神あきら様にじっくりお話を伺いました。

設立の経緯と事業内容

Q.どのような経緯でSPANを立ち上げられたのでしょうか?

 

設立は1999年、今年で22年目です。私は設立段階からいたわけではなくて、最初は別の視覚障害の方と賛同者が中心になって始められました。当時は視覚障害者がパソコンを学ぶ場がとても少なかったので、それを作ろうと立ち上げたのがSPANです。私は出来上がりかけたぐらいから参加した感じです。

 

Q.活動の歴史や主な事業内容について教えてください。

 

設立からしばらくしてパソコンの指導者養成講座を行いました。これは経済産業省系列の財団から委託されたもので、北海道から沖縄まで40数回実施しました。このときに全国のいろんな団体とネットワークができたのは良い経験です。

 

そうした経験を経て、東日本大震災のあとの2012年ぐらいから就労支援に力を入れるようになりました。2013年からは東京しごと財団の在職者訓練を受託、2019年からはジョブコーチの支援も開始。これらは現在も継続しています。

 

Q.在職者訓練とジョブコーチの違いについて教えていただけますか?

 

在職者訓練が職業訓練なのに対し、ジョブコーチはどちらかと言うと職場に出向いて支援するのが主体になります。たとえば弱視の人だとオフィスの照明によって見やすさが変わったりするのでその調整をしてもらったり、デスクを入り口からアクセスしやすい場所に変えてもらうなど、職場環境を含めての支援ですね。他にも仕事の切り出しなんかも提案しています。上司の方にヒアリングをして、この仕事なら音声で作業ができるのではないでしょうか?といった感じに。ですので、職業訓練とジョブコーチは車の両輪かなと思っています。

 

Q.職業訓練は当事者のスキルアップ、ジョブコーチは働く環境づくりの支援という側面があるんですね。

 

ジョブコーチは当事者の方もそうですが、職場の上司や同僚の方、あるいは人事関係の方に提案や相談をします。完全に中立なんです。一方的に障害者に合わせてください、ではなくて、障害者も会社も互いに妥協点を探りながら落としどころを見つけていきます。だから企業の方には必ず最初にお話します。「あくまで中立です。同じ距離で支援しますよ」と。

 

Q.幅広い活動をされているんですね。他にはどうでしょうか?

 

あとは有料の講習をしたり、去年からは無償の遠隔サポートもしています。職業訓練の仕組みは、以前よりよくなってはいるものの、まだまだ支援を受けられない人が多いんです。地理的な面や制度的な面でのハードル、さらにはそれらをクリアしても職場の協力が得られないケースもあります。在職者訓練はウィークデーに行うので、勤務時間内での受講を職場に承認してもらわなければなりません。それをダメと言われるとスキルアップも難しくなります。

 

そうした方のために寄付金を募集して、ひとり10時間までで10名の方に無償遠隔支援をしました。現在も来年に向けて寄付を募集しており、おそらく目標額には到達しそうな状況なので、少なくともこれまでと同じレベルでは支援ができそうです。

 

Q.無償支援があっても有料講習を希望される方もおられますか?

 

無償の遠隔サポートは10時間の制限があります。特定の困りごとを解決することはできても、それだけでグンとスキルアップする、というところまではいきません。やはりまとまった時間でじっくり講習を受けていただくのとは違います。

失明を乗り越えて代表に

Q.続いて、北神様のことを伺ってよろしいでしょうか?

 

私自身は視覚障害者でほぼ全盲です。昭和から平成に変わるぐらいの頃に網膜剥離で今のような状態になりました。

 

Q.それまでは見えていらっしゃったんですか?

 

普通に会社員をやっていました。片目はもっと若いころに発症していたんですが、片目で仕事をしていて特に困ることもありませんでした。ところが勤めてから20年ぐらい経った頃、もう片方の目も網膜剥離になってしまったんです。いったんは手術で回復しましたが、またしばらくして再発。今度は手術でも戻らず、弱視の段階をほとんど通らず、3ヶ月ぐらいの間にどんどん視力が低下し、最終的にはほぼ全盲、ごく弱い光覚だけになりました。

当時勤めていた最初の会社は、視覚障害になったことが原因で退職。その後紹介などもあって再就職しました。ですのでSPAN設立の99年頃は現役の会社員です。

 

Q.全盲になられてからどうやってパソコンを習得されたのですか?

 

最低限のことは埼玉県所沢市にある国立職業リハビリテーションセンターでトレーニングを受けました。ただ実務に就いてみると習ったことをそのまま使えるわけではないですから。仕事をするために必要に迫られて、という感じでしたね。それで、たまたまSPAN設立の活動を知って、「それいいな」ぐらいの感覚で特別な意識もなく参加しました。

 

Q.そこからどのような経緯で理事長になられたのでしょうか?

 

冒頭でも申し上げた発起人の視覚障害の方が、SPAN設立の後に、別の視覚障害者支援の団体を立ち上げることになったんです。それで代わりに代表をやってくれないかと言われまして。

 

Q.代表の職を受けられたときは会社員だったわけですよね?

 

現役の会社員です。だから当時はSPANの活動は基本的に土日でした。2010年に会社を定年退職したあとぐらいから、四谷にある日本視覚障害者職能開発センターの職業訓練もかけもちしながら、少しずつ活動の幅を広げていきました。

より多くの就労支援と職業訓練の機会を

Q.現在のSPAN様の受講生について教えてください。

 

受講生の数は、年間で言うと100人ぐらいでしょうか。見え方はさまざまですが、全盲の方より弱視の方のほうが多いですね。あと、制度を利用して受講するとなると在職者訓練になるので、就職のためにパソコンを習得しようとする求職者の方よりも、在職しながらスキルアップを目指す人の方が多いです。

 

Q.最近の視覚障害者の就労状況をどのように感じていらっしゃいますか?

 

視覚障害者の就労状況は以前に比べるととても良くなっています。けれども……というところですね。私が再就職した頃は視覚障害で一般企業で働いてる人はほんのごくわずかでした。「あの人知ってる、この人も知ってる」と把握できるぐらい。それに比べたら今はたくさんいます。けれども、まだまだ、です。

 

Q.原因としては企業側の理解が進んでいない、障害者側が抱える就労への不安、といった両方があるのでしょうか?

 

やはり企業側に伝わっていない、というのがまだありますね。「視覚障害者が音声でパソコンを使えるとは知らなかった」「職業訓練の現場を見てこんなにできると思わなかった」そういう声がいっぱいです。当事者の側にも、中途で視覚障害になって行政の福祉窓口に相談に行くと「就労は無理」と言われて、復職を諦めてしまう人もいるようです。

 

Q.実際は視覚障害者でも働けるのに、正しい情報が行きわたっていないが故の問題ですね。

 

社会福祉法人プロップ・ステーションの代表の方が、「障害がある人でも福祉を受けるだけでなく、税金を納めて社会に貢献すべき」と語っておられたんです。私はこれを励みにしてきました。働く場所がないと福祉のお世話になるしかありません。でも、職業訓練にしろ就労支援にしろ、福祉にかかるお金に比べたら全然大したことないんです。そこにもっとお金をかけて、働ける人を増やして税金を納めてもらったら、誰もがハッピーじゃないですか。職業訓練を受ければみんな働けるかというと何とも言えませんが、少なくともその機会すらないのはどうかと思います。

変わりゆく視覚障害者の生活

Q.北神様は歩導くんも体験していただいたそうですが、視覚障害者が働く職場に導入すれば就労支援の効果はあると思われますか?

 

大いにあると思います。点字ブロックだと工事が大変。しかもオフィス内の景観を気にされる企業も多いです。歩導くんだと簡単に仮設できるし、色も選べるので導入しやすいですよね。大きな会社だと会議室も複数あって、そこまでの移動も大変ですが、会議室の入り口の前に置いててもらうだけでも「ここなんだ」とわかるので安心できると思います。

 

Q.ありがとうございます。では、今後の北神様の目標とか夢をお聞かせいただけますか?

 

今やっていることを充実させるのはもちろんですが、勝手に抱いてる妄想があります。まだ構想まではいってないので妄想なんですが(笑)。視覚障害者に特化したビジネススクールができたらいいな、と。たとえば英会話のレッスンでも趣味の講座でも。ボランティアだけでは長続きしないので、そこで働く人に給料を支払えるようにしたいですよね。

 

そこにいくまでの過程として、資格の取得支援はぜひやっていきたいと思っています。手始めに日商PC検定の支援をスタートさせました。ITパスポートとか他の検定対策もやりたいです。MOS(※)ができれば良いのですが、今のところ音声にも画面調整にも対応していないので。また実施機関にプッシュしようと思っています。

 

※マイクロソフトオフィススペシャリストの略称。WordやExcelを使用する上で一定の水準を満たしていると証明できるため、企業へのアピールに有効。

 

Q.最後に、これからの視覚障害者の可能性についてお考えをお聞かせいただけますか?

 

一番期待しているのはAI。「見る」代行が務まるのではないでしょうか。いろいろAIでモノを見て教えてくれるものがありますが、さらに精度の高い、眼鏡型ウェアラブル端末ができて、街を歩いているとどんどん情報をくれるようになると思います。だから未来は明るいですよ。ただそうした社会になるには、視覚障害者から情報発信することが必要ですし、視覚障害者自身もアンテナを張っていろんなことに感心を持つことが大事でしょうね。

 

 

取材日:2021年12月2日

 

特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワーク
SPAN ウェブサイト

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福永 修 様 モータースポーツと社会貢献活動で
人に夢を与えるのが仕事
株式会社OSAMU-FACTORY代表取締役 福永 修 様

事故や病気で下肢機能に障害を負ってしまった。それでも自分の好きな車に乗りたい。そんな人たちの夢を叶えるため、マニュアルミッション車のシフトレバーにボタンを取り付け、手でクラッチ操作をできるようにしたアクティブクラッチ。開発したのは、株式会社オサムファクトリーの代表取締役・福永修様です。

 

会社経営者であり、全日本ラリー選手権のトップドライバーであり、福祉活動サークル・神戸ユニバーサル研究会の副代表。モータースポーツと福祉という2つの世界で多くの人を笑顔にする、その実態に迫りました。

 

オサムファクトリー様のオフィス前にずらりと並んだラリーカーと、車の間に立つ福永修社長

車好き・モータースポーツ好きの人の満足度を高めるお手伝い

Q.オサムファクトリー様の事業内容について教えてください。

 

事業内容はモータースポーツの専門ショップです。実用的なことではなく趣味的なことなので、極論すれば世の中に無くてもいいものなんです。だけどなぜ弊社のような会社があるかと言えば、楽しいから。「こんな車乗れたら嬉しい」とか「こんな車に乗るのが夢だった」とか。そういう人のモチベーションのためですね。

 

これからの自動車はモビリティ(移動手段)としての役割となり、我々のような元々修理屋からはじまった事業は無くなると思うんです。だけど楽しむコンテンツは、100年経っても200年経っても、それがどういう形であれ生き残ると思っています。

 

実用的な形で車というモビリティを使うようになればなるほど、僕らがやっているスポーツが脚光を浴びるんです。むしろモータースポーツはこれからです。だからその分野を貫いたモータースポーツ専門ショップ。すなわち、車好き、モータースポーツ好きの人たちがやりたいと思っていることの満足度を高めるお手伝い。それが我々の仕事です。

 

ラリー走行中、向かって来るような福永修の赤い車。

独立のためにがむしゃらに働いていた若いころ

Q.会社を設立された時期はいつでしょうか?

 

名前のとおり僕が創業者で、平成6年4月1日に独立しました。それまでは一部上場企業に丸5年勤めてました。で、法人にしたのが平成16年、ちょうど10年経ってからですね。

 

— 独立しようと思われたきっかけはなんだったんですか? —

 

鶏口牛後(大きな組織の末端にいるより小さな組織でもトップに立つべき、の意))という言葉があるように、とにかく自分でやりたいと。

 

僕の中では、親が家業をしてて自分は次男という立場だったから、10歳のときからいつか自分で商売をしたいと思ってました。で、13年待ってようやく23歳から起業したんです。だから何をするかを13年考えてた、と言っても過言ではありません。

 

— 会社員をされながらも起業を考えてらっしゃったんですか? —

 

もちろん。会社員やってるときも土日バイトに行ったりしてて。最後の1年は、昼夜逆転している自動車屋があったので、昼間はネクタイをして会社で働き、夕方帰ってきてから朝の5時までつなぎを着て自動車屋で仕事。で、1時間半寝てまた会社に行く、そんな生活でした。それで、「よし、もう一人立ちできる」と思って、はじめました。

 

— 今の仕事を選ばれたのはもともと車が好きだったからですか? —

 

好きだったのと、19~21歳のときにモータースポーツをやっていて成績も一気に上がっていったので面白いなと思いましたね。ただお金がすごくかかるんですよ。それで、いったんバシッとやめて独立の方向に照準を合わせました。

 

— それで独立された後にまた再開されたんですね? —

 

25歳のときにオーストラリアのWRCという世界ラリー選手権に、メカニックで参加する機会があったんです。それが今まで日本で自分がやってたモータースポーツと全然違ってて。これはすごいな、と。で、ラリーに魅せられて25歳からやりはじめました。

 

ラリーカーに乗り込み戦闘モードになっている福永修と助手席のナビゲーター

アクティブクラッチとともにユニバーサルスポーツを広げる

Q.アクティブクラッチについてお聞かせください。

 

すごく車が好きでずっと乗っているマニュアルミッション車がある、それで毎日通勤している、そんな人が会社の作業中の事故で足を失ったりして、自分の愛車に乗り続けることができなくなった。また先天性で、もともと足が無いとか短いとか不自由だったりとか。でも車が好きで、「僕この車に乗りたいんです」という人たち。それを乗れるようにお手伝いする、そんな感覚です。

 

僕はオリンピックパラリンピックという思想があまり好きではなくて。ぜんぶオリンピックでやったらいいと思ってるんです。なぜかと言うと車椅子テニスの国枝選手に、(健常者でもあの競技で)勝てる人はいないじゃないですか。だけど車椅子テニスっていう名称だけで下に見られてしまうんです。だから新たな名前にして、みんなが同じ土俵で戦うようにしたらいいだけだと思いますよ。

 

アクティブクラッチもその考えと一緒なんです。あれはひとつの(ガンダムの)モビルスーツだと。ガンダムを動かすアムロが手や足の不自由な方でもいいんですよ。

 

だから僕らも、「あの車めっちゃ速いやん、あの人なんていう人?」って言ってて、車から降りてきたら車椅子の人だった、とかね。でもその人が車椅子かどうかなんてどうでもいいんですよ。ひとりの選手としてクローズアップしてるから。車はひとつの道具として捉えてるだけなんです。

 

僕はそれが本当の意味でのユニバーサルスポーツだと思ってます。だから(ラリー会場で知り合ったライバル・トヨタの)章男社長に、「僕らはユニバーサルスポーツを目指してるんです」「モータースポーツは唯一のユニバーサルスポーツなんですよ」って言ったんです。

 

そしたら、また別のラリーの機会に、章男社長が僕らのテントまで来て、「ユニバーサルスポーツいいよね。使わせてもらってるよ」って、わざわざ言ってくれたんですよ。あの大社長が、ですよ。そのときはもうほんと「よっしゃー!」って思いましたね。僕らが思ってることって間違いじゃなかったって。

儲けよりもお客さんの「この車に乗りたい」に応えたい

Q.そもそもアクティブクラッチを開発しよう、と思われたきっかけは何だったのでしょうか?

 

海外製で同じようなのがあったんです。それがもう入手できないとか、やめてしまうんだ、って聞いて。すごいニッチな領域なのでビジネスにならないんですよ。なったらみんなやってますもんね。

 

それで無くなるっていうときに、こんないいものなんで無くなるの?これが無くなるのはちょっと……って思って。だったら一から自分か開発してみよう、というのがきっかけでした。

 

— やろうと決心してから完成までどれぐらいの年月がかかりましたか? —

 

正直、まだ完成品ではない、と言ったら怒られますけど。もう100台以上売ってますからね。ただお客さんとともに改善していってる状況ですね。

 

というのも、僕らのコンセプトは、「世の中にある自動車どれでも乗れるようにしたい」なんですよ。だからどんな車にでも付けてるんです。

 

— 今も1台1台お客さんの声に耳を傾けながら調整している、とのことですが、1号機を販売できたのは開発から何年ぐらいだったのでしょうか? —

 

3年ぐらい経ってからかなぁ。もう売っていかんと先ないよなぁ、もうトラブルは出ないだろう、と思って売り出しました。

 

でも売りだしたらトラブルいっぱい出てね。当初から比べるとだいぶ製品も変わってます。クラッチの仕方って人によっていろいろだし、車ごとのクラッチの重さとかもいろいろで、これは大変やなぁと思いました。

 

— じゃあ売り出した当初はお客さんからクレームもありましたか? —

 

いやもうクレームの嵐でしたよ。そりゃ、どやされる勢いでね。最初のころは「すいません、すいません」って全国あちこち謝りに行きました。「こんなもんいらんわ!」って言われて北海道まで外しにいったりとか。

 

— それでも諦めずに継続されたのはすごいですね —

 

まぁ、そうですね。やはり継続は力なりだなと思うのと、今は絶対お客様に来ていただいてセッティングして、きちんとした説明をするというふうにしています。

 

だから正直いまのペースでいいと思ってます。たくさんの人に喜んではほしいけど、いっぱい売って、というよりフォローできる範囲で、という感じです。なので将来はどこかの大企業にがさっと量産対応してもらってもいいんです。きっかけが僕やった、っていうだけで。

 

少なくとも僕と一緒に生きた年代の人たちには、喜んでいただけたし、楽しんでいただけたし、一緒に夢を叶えられた。それでいいと思ってます。

 

ただ僕みたいなコンセプトで、お客さんが絶対これに乗りたいっていう車に合わせて対応するのは、ビジネスでは難しいと思います。車種限定で、この車だったらトラブらないからってパッケージング化して、大量生産するのなら可能でしょうけど。でも僕はそんなのしたいと思ってないから。押し付けは嫌なので。

 
運転技術を生かしてもっと社会に貢献したい

Q.続いて、福永様がされている活動の中のセーフティ・ドライビング・フェスタについて教えてください

 

わかりやすく言うと、自立支援のイベントです。兵庫のリハビリテーションセンターなどに入院している方で、社会復帰を目指しながらも、車に乗り出すことができないとか、車に乗りはじめるきっかけがほしいとか。そういう人がいらっしゃるんです。

 

— 実際に車に乗り込んで運転されるのですか? —

 

はい。チーム内に、教習所の教官を仕事としてやってる人がいるので、横に乗って指導します。事故後初めて運転した、という人もいるんですが、「あ、なんかいけそうな気がします」とか「習熟訓練をやるきっかけになりました」って喜ばれることもあります。

 

これも定期的にやらせてもらってるんですが、コロナ後は1回もできてないのが残念で。僕らは車の運転が人よりもちょっとだけ長けているので、そこをもっともっと社会に貢献したい、という想いがありますからね。

視覚障害者も車の運転を楽しむことができる日がきっとくる

Q.個人的なご見解で結構ですが、視覚障害者もいつか車を運転できるようになると思われますか?

 

絶対できますよ。これだけセンサーが発達してるんですから。ただ、運転するという概念ではないのかもしれません。最初にも言ったモビリティの世界の話になってくるんじゃないか、と。だから運転という言い方とはちょっと違うけれど、それでもどこかには人が介在しないといけないハザマがあると思うんです。

 

将来は自動運転でボタンを押したら目的地に行ける、となってくるでしょうけど、いきなりその段階にはいかないですよね。その間のところに喜びを感じる部分があるはずです。「ついに自分でも運転できたー」っていう楽しい部分が。

 

過去に全盲の人がパーソナリティやってるラジオ番組に出させてもらったときに、運転の話になったことがありましてね。「私、全盲だから車運転したことないけど乗れますか?」って言われて。僕が「絶対乗れますよ」って答えたら、その人の表情がぱーっと明るくなったのをすごく覚えてます。

 

もちろんメーカーも考えてるでしょうけど、そういうお手伝いを僕らができたら本当に嬉しいな、と思いますね。

まずは日本チャンピオン!そしてみんなに元気を!

Q.では最後にいま一番力をいれていること、もしくは今後やりたいと思ってることを教えてください。

 

いま一番注力しているのは(全日本ラリー選手権の)日本チャンピオンですね。タイトルが10月で決まるので。10月16・17日と30・31日の残り2戦、とにかくそこに注力して、王者トヨタに勝つ。これに尽きます。

 

僕は人に夢を与えるのが仕事だから。こんなおっさんでも日本チャンピオンになれるんだ、とか。資産家でもないしお金借り入れしてこの車買ってやってるんで、何も後ろ盾ないんですよ。だけど日本一になれるんだ、その先は世界一にもなりたいんだ、ってね。

 

人っていつ死ぬかわからないじゃないですか。死の間際に悔いが残ってる、というのは嫌なんです。だから自分のやりたいことを最優先して、悔いのない人生を送る。そのことをみんなに伝えて、みんなも「一緒になってやりたいです」ってとにかく元気になってもらいたい。

 

障害の有無に関わらず福永様と一緒に夢を追いかける仲間の皆さん

 

※)福永・齊田チームは、最後の最後まで勝田・木村チームと熱戦を繰り広げましたが、最終10月31日惜しくも優勝を逃し、全日本タイトル獲得の夢は叶いませんでした。それでも多くの方がその走りに勇気をもらったのは紛れもない事実です。まだまだ福永様の挑戦は続いていくでしょう。

 

オサムファクトリー様HP:http://osamu-factory.jp/

 

取材日:2021年10月7日

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兼崎 暁美 様 これがあったら渡れる!
みんなの安全を守るLED付音響装置
篠原電機株式会社 社会貢献推進室参事 兼崎 暁美 様

交通安全白書によると、もっとも交通事故が起こりやすいのが交差点内です。信号機を認識するのが困難な視覚障がい者にとっては「命がけ」と言っても過言ではありません。

 

そうした危険を少しでも軽減するために開発されたLED付音響装置(正式名称:高齢者・視覚障がい者・盲ろう者用LED付音響装置、愛称:アイシグナル)。

 

見つけやすく(地上1メートルの高さにLED表示)、見やすく(横断歩道の手前で確認可能・色だけでなく形でも赤と青が識別可能)、聞きやすく(耳の高さから発せられる音響信号)、触ってもわかる(振動により青信号を通知)。

 

歩行者用信号機の補助装置として、通常の信号機だけでは横断が難しいとされる方々の助けになっています。

 

このLED付音響装置の製造・販売をおこなう篠原電機株式会社の兼崎暁美様に、開発の経緯から今後の展開までさまざまなお話を伺いました。

 

スピーカーが低い位置に付いているため聞き取りやすい。
ポールが振動して青信号を知らせるタイプもある。

音響ポールの利点を生かしてはじまったプロジェクト

Q.LED付音響装置の開発が検討された経緯を教えてください。

 

視覚障害の方から「歩行者用信号機が見づらい」という声を聞いたんです。実は弊社は40年ほど前から、大阪府警さんの管轄内で、音響ポールという、スピーカーと押しボタンが付いた黄色のポールを開発していました。それが大阪府下には2,000ヵ所ぐらい付いてるんです。

 

音響ポールはスピーカーが地上1メートルの位置にあるんです。耳元に近いので聞き取りやすいのと、渡ったところから鳴ってくるのでその方向に歩きやすい、という利点があります。大阪以外の他府県は3.3メートルの位置にスピーカーが付いていて、横断歩道の真ん中に向けて鳴らしているんです。なので騒音にもなりやすいのですが、低い位置にある音響ポールは騒音になりづらく、また音が鳴っている方向へ向かいやすいことは福島大学と大阪大学の先生と検証をおこなって、結果も出ています。

 

大阪府警さんにはご理解をいただいているのですが、(信号の補助装置は)各県警ごとの採用になるため、他府県ではまだなかなか採用してもらえなくて。岩手、福島、愛知、和歌山でも採用いただきましたが、これを全国的に広めたいな、というのが、LED付音響装置になってからですね。

 

Q.篠原電機様の中から、こういう製品を作ろう、という動きがあったのですか?

 

(インタビュー冒頭のとおり)視覚障害の方から「見づらい」という声を聞いたので、じゃあ自社製品で多数の設置実績がある黄色い音響ポールに、赤と青の信号を付けたらいいんじゃないか、という前会長の発案でスタートしました。

3年間の検証の末、第一号機がJR茨木駅前に誕生

Q.LED付音響装置の開発をスタートされたときの状況を教えていただけますか。

 

2008年頃から、開発・検証をはじめたんです。やっぱり人命にかかわるものですから、いろんな検証が必要で、3年かけて大阪大学と近畿大学の先生にも入っていただいて進めました。

 

その検証の過程で改良に至ったのが、LEDの表示方法。当時はLED電球の価格が高かったので、赤信号を赤色の×、青信号を青色の○(の線で表示するだけ)にしたんです。

 

それで視覚障害の方に検証してもらうと、視野の狭い人からは「わかりづらい。×の表示だけだと電球部分の数が少ないから、視野の範囲から抜けてしまう」とご指摘をいただき、問題があることがわかりました。色弱の人も見づらい、ということで、赤信号は赤色の■(四角形)、青信号は青色の●(円形)で塗りつぶすように大きく表示することにしました。こういったことを検証しながらやっていったんです。

 

横断歩道の手前で注意を促す赤信号

 

Q.製品として販売されたのはいつからでしょうか?

 

警察庁から許可をもらわないといけなくて。3年ぐらい検証したあと、(前述の大阪大学・近畿大学の)先生方にまとめてもらった検証結果の資料や、アンケート調査、事故が減ったというエビデンス、それに利用者のみなさんの声なんかを提出しました。それで認めてもらえてから、初めて設置したのが、2012年JR茨木駅前です。ラジオ大阪のチャリティーミュージックソンの寄贈によるものでした。

 

その翌年、実証実験をおこなっていた鶴見警察署前のLED付音響装置が試験用の設置から本設置に変わりました。そこから毎年設置されるようになりました。

畑違いの仕事からプロジェクトの外交担当へ

Q.それまでは、兼崎様は社内でどういったお仕事をされていたのでしょうか。
また、LED付音響装置に携わるようになられたきっかけは何だったのですか。

 

最初は技術開発室で自社製品の開発に従事していました。当初は配電盤部材がメインでしたが、視覚障害の方が困っているというお話を受けて、会長が先頭に立ってプロジェクトを立ち上げ、メンバーに加わりました。2008年のことで、それ以来ずっと関わってます。

 

Q.スタート時点では兼崎様以外に社内のほかの方も関わってらっしゃったんですか?

 

直属の上司と、設計や組み立てなどそれぞれの部署の担当者がいました。ですけど、大学や警察との調整であったり、外部のいろんな方と一緒に検証するのは私がやってきました。

 

実際に有効かどうかを検証するために、最初は盲学校でおこない、高齢者にも有効だろうということから老人施設だったり、多くの人が集まる温泉施設の駐車場でお客さんに試してもらったりもしました。次に、仮設置の形で、大阪市天王寺区にあるお寺・四天王寺でもおこないました。毎月多くの参拝客が訪れる行事の日があって、大阪府警さん協力のもと検証したんです。そして実証実験の最後として、前述の鶴見警察署前に8本付けて、設置前と設置後の検証をおこないました。

 

大阪府警さんが出してくれた、設置前5年間と設置後5年間の事故データは、56%減少という結果でした。

 

そのときの警察の方のコメントとして、「自転車の人の目線的にもちょうどよく、横断歩道を渡った先にある信号を見ると(赤に変わりそうなとき)急いで渡ろうとするが、手前にある信号を見た人は止まろうという抑止力が働いてるように思う」と言われました。だから一般の人にも効果があるのではないかな、と。

 

それから、小さい子どもさんの目線にも合うので良い、という話はよく聞きました。また知的障害児の教育に携わる先生からも、信号を教えるのにすごく説明しやすいというお声をいただきました。

 

子どもや車いす、お年寄りの目線の高さになっている。
夜でもはっきりと見やすく交通事故も減らすことができる。

丁寧な説明と実際の体験からその良さを知ってもらいたい

Q.現在LED付音響装置の普及のためにどういったご活動をされていますか?
また苦労されていることなどがございましたらお聞かせ願います。

 

視覚障害者団体様の展示会に実機をそのまま持って行って、触ってもらって、音を聞いてもらって、納得してもらうようにしています。言葉だけで伝えるのは難しいですから。

 

たとえば、車両用の信号機って「赤・青・黄」ですが、全盲の方から「黄色ってなんですか?」って言われたことがあるんです。その方たちは、歩行者用信号機しか知らないので、「赤・青」だけなんですよね。それぐらい視覚からの情報は大きいので、できる限り触ってもらったり聞いてもらったりして丁寧に伝えるよう、全国の展示会を回っていました。

 

Q.視覚障害の方の反応はいかがでしたか?

 

皆さん「持って帰りたい」、「これがあったら渡れる」とすごく気に入ってくれました。

 

展示会場に置いて、音を出して「向こうまで渡れますか?」と尋ねると、「あ、わかる!」と言ってくれます。

 

それと、青信号では振動するようにもなってるので、盲ろうの方が喜んで、喜んで。「これだったらわかる!」と飛び上がって喜んでくれました。

 

Q.盲ろうの方も、症状はいろいろだと思うのですが、おひとりで外出されることはあるんですね。

 

いらっしゃるんです。盲導犬連れて、とか。ひとりで行動できる方は、手引きなどのサポートなしにで出かけられるんです。やっぱりちょっとそこのコンビニまで、とか、わざわざ誰かにお願いして、というよりはね。そこへ行くときに信号があっても自分で渡れるようになったら、すごく嬉しいって言ってくれました。

 

みんなが自分で外出しやすくなるのが一番ですよね。

世界に向けて、そして会社全体に響くためのチャレンジを

Q.コロナ禍で展示会がほとんどない中、活動の仕方を変えられたりしましたか?

 

この10年ぐらいやってきて、いろんな人が困ってて、いろんな人の手助けをしたい、と思うようになりました。そこで、世界でも必要としているところがあるなら、と海外に向けてチャレンジしています。ジェトロ(日本貿易振興機構)さんの支援を受けてやりはじめたところです。まだどうなるかわかりませんが、いろんなことをやってみて、どこかで人助けになったらいいな、と思っています。

 

もうひとつは、大阪・関西万博の共創チャレンジ「チーム OTAGAISAMA(おたがいさま)」に入れてもらってます。このチームの取り組みは、スマホから街中の情報を得て視覚障害者のバリアをなくしていこうというもの。弊社の装置はスマホを持ってなくても(弱視の人は)近づけば見えて、音を聞いて、触ってわかる、いわゆるローテクなんだけど、スマホが進化しても違う部分でこういうのもいるんじゃないか、と知ってもらえたら、との思いで参加しています。

 

Q.最後に、今のお仕事での目標、社会全体に期待すること、兼崎さまご自身がやっていきたいこと、なんでも結構ですので今後についてのお考えをお聞かせください。

 

やはり教育ですよね。子どもたちにも小さいときから情報が行きわたれば、視覚障害の方がいたら、道路を渡りにくそうにしてるなとか、駅のホームでも気を付けてあげやすくなるじゃないですか。そうやって全体にみんなが手助けできるような世の中になるのが一番だと思っています。

 

あとは、前の部署にいたときは、もちろん会社として利益を追求しなければなりませんでした。今は社会貢献推進室になっているので、社会に貢献することが会社にもプラスになると思って、いろんなことにチャレンジしています。

 

会社としても誰かのために貢献できて、それによって社員が誇りを持ちそれぞれの仕事をやっていけば、また違ってきますよね。

 

SDGsの考えのように、この仕事はこれから先も繋いでいかなければいけないんです。ただ、私がずっといるわけじゃないし、直接誰かにつなげられるかはわかりません。だから、社員みんなにちょっとでも響くようなことをやっていって、それが何パーセントかずつになっていけば、という思いでやってます。

 

口だけで社会貢献だとか言ってても、何やってるの?ってなるでしょ?なので海外や万博に向けて頑張っています。

 

取材日:2021年8月30日

 

篠原電機株式会社 LED付音響装置サイト
https://www.shinohara-elec.co.jp/products/ccat_list.php?bun=50&bcat=516

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社会福祉法人 杉和会 理事長 地域の困っている方を何とかする、
それが社会福祉法人の役割
社会福祉法人 杉和会
理事長
若山 宏 様

緑に囲まれた自然豊かな高台に建つ「優・悠・邑 和(ゆう・ゆう・ゆう なごみ)」。
岐阜県初の盲養護老人ホームとして今年5月に開所しました。真新しい建物には、優しい木の香り、解放感のある高い天井、絶好のロケーションを一望できる大きな窓があり、ここで暮らす方々を穏やかな気持ちにしてくれます。まさに、施設の名前のとおり、和(なごみ)です。

 

 

 

今回お話を伺ったのは、当該施設を含め岐阜県内に4つの福祉施設を展開する社会福祉法人「杉和会」の理事長・若山宏様。そして同理事の水野貴子様、当施設長の吉澤進治様にもご同席いただきました。

 

左から、水野理事・若山理事長・吉澤施設長

虚弱児だった経験が学習遅滞の子どもを救いたいという情熱へ

Q.まず若山理事長のご経歴からお聞かせください。

 

経歴となると生まれたときからお話ししないといけないですね。今年の5月で68歳になったのですが、生まれたときは虚弱児ですぐに熱を出していました。
小学校のときは6つ上の姉がおんぶして学校へ連れてってくれるような、ひ弱で色白でガリガリで、これは中学校でも同じで、ずっとそうでした。

 

虚弱っていうことは、学校へあまり行けないものですから、勉強もできなくて。
中学1年のゴールデンウィークが終わって学校が始まるときに3週間ぐらい入院したんです。久しぶりに学校に行ったら英語の授業が何やってるかさっぱりわからなくなってしまいました。
それで英語だけじゃなく、勉強全体が嫌になったんです。

 

それでもまぁ何とかその後大学まで進みました。大学って楽しくてね。講義が楽しいんじゃないんです。それ以外のことが楽しくて。
講義はあまり受けてなかったのですが、親父が教員だったものですから、「教員になれ」って言われましてね。教員にはなったものの、25歳のとき辞職しました。
というのも当時は旧文部省の指導要綱どおりやらないと「ダメな先生」だったんです。私はそういう先生にはなりたくないと思ってたので、ほかの先生に迷惑をかけながらやっていました。それでいつまでもこのままだともっと迷惑をかけると思って辞めました。

 

辞めて家に帰って親父に報告した途端、勘当されましてね。半年間の勘当生活のあと児童養護施設を紹介されました。
私は福祉なんて何も知らなかったのですが、小中高の教員免許を持っていたので、指導員になれますよ、ということで始めたんです。最初は全然やる気がなかったので、翌年の3月には辞めるつもりでした。

 

ところが出会う子どもたちが、いわゆる家庭崩壊の子どもですから、学習遅滞児ばかりなんですね。
全国の高校進学率98%の時代に児童養護施設の高校進学率は30%ありませんでした。能力はあるけど学習遅滞ということです。親が子供の教育に認識をもっていませんから(学力を)磨いてないですから。
私は子どもたちと接してるうちにそれに気付いて、結局26歳から38歳までいました。

 

(辞めるに至ったのは、)35歳のときに研修でアメリカに行かせてもらって、アメリカの児童福祉の世界を見てかなりカルチャーショックを受けたんです。
それでアメリカの5年後が日本に来るだろうと思って、帰ってすぐ施設を辞める、という話をしたら経営者からえらい怒られましてね。「研修言ってきたばかりで辞めるなんておかしいやないか」と。
それで「私の代わりに指導できる人を育てて辞めます」と条件を付けまして。3年かかったんですけどね。

 

アメリカでカルチャーショックを受けて私が何をやりたかったかと言うと、在宅で困ってる子どもたち、親ともども困ってる子を何とかしたい、という思いです。
何らかの形で学校に行けない子たちの個別指導を日本でやりだしたんですが、食えないんです、生活できないんですよ。

 

Q.当時の日本にはそのようなものはなかったのですか?

 

今もないですよ。個別はないです。施設に収容というのはあるかもしれないけども、個別指導をやって(指導する人間が)生活できるような状況っていうのは今もないですね。

 

Q.アメリカはそういった状況がすでにあったんですか?

 

ものすごいありました。州政府とか郡政府がやってくれるのと、援助するだけでなく、いわゆる福祉の専門職の社会的認知度がものすごく高いんです。高いってことは給料もいいんです。

世の中の流れに逆行してでもお困りの人たちを優先する施設を

(経歴の話に戻り)児童施設で38歳までいたんですけれども、結局そこを辞めて、個別指導をやって、(生活の糧のために)大学の非常勤を多いときには13コマやったり家庭教師をやったり。そういう生活を6年続けました。

 

でも(個別指導は)無理でしたね。やっぱり拠点を作らないと。
そのとき、「児童の施設は難しい。でもおまえの元気さとバイタリティーで社会福祉法人を設立して特養を作ったらどうか」と言ってくれる方がいまして。それで、43歳のときに、社会福祉法人「杉和会」作ったんです。

 

社会福祉法人って税金を納めないんですね。
だから余剰金はまるまる儲けだろう、という考えのところも増えてきてる気がします。

 

私は余剰金ができたら、次に地域の中で何を欲しているかを考えて、事業展開しています。
平成10年5月に(関ヶ原の特別養護老人ホーム優・悠・邑の)本館ができました。それから6年後には新館を増床しました。ショートステイを入れると110のベッドがあります。
で、年中無休のデイサービスが1日35人(の受け入れ)。
そのあと大垣の和合というところに98床の施設を建てました。

 

これを建てた理由は、西濃地区の中心である大垣市にどんどん施設は建ってきたけど、地域のニーズに合っているのか、という思いがありました。
私は逆行するんですが、このときみんな個室個室と言ってました。利用料を払える人ばっかりか?絶対に違うと思ったんです。

 

社会福祉法人としては低所得者の人もちゃんと生活してもらえるようにしなきゃいけないから、というので、あえて大垣には多床室のある施設(特別養護老人ホーム)を作ったんです。
見事に正解でした。やっぱりニーズが多いんですよ。

 

そこの立ち上げから吉澤(現・盲養護老人ホーム優・悠・邑 和の施設長)がいたわけですが、吉澤に「とにかく大垣市の中でお困りの人たちを優先的に入所させなさい」と話しました。それが社会福祉法人の使命だと私は思っています。
社会福祉法人としてやらなければならないのは何か。地域の困った人たちを何とかする。そういう大きな役割があるんです。そうした考え方は、今も将来もかわりません。

岐阜県初の盲養護老人ホームでゆったり過ごしてもらうために措置の矛盾を打破したい

その流れの中で、4年前に岐阜県視覚障害者福祉協会の会長がお見えになったとき、この優・悠・邑 和(なごみ)を作ると決めたんです。
この会長さんは、20年来盲養護老人ホームを作ってほしいと毎年県の方に陳情していたんです。

 

ところが全然できなかった。なぜか。儲からんからです。
でもそれっておかしいでしょう?
平成26年に山形県に盲養護老人ホームができたのを最後に、それから作られてないんですけど、結果的に岐阜・富山・鳥取・沖縄の4県のみが(盲養護老人ホームが)ない状態だったんです。

 

だから施設で生活しなくてはならない人は、他の県に行ってもらわなきゃならない。会長さんはそれをほんとうに申し訳ない、と思われていました。

 

それを県の当時の高齢福祉課長さんから、私が岐阜県老人福祉施設協議会の会長という立場で、その話を聞いて、岐阜県に無いんであれば県の中心である岐阜市に作るべきだろうと思いました。

 

それで岐阜市の(岐阜県老施協)支部長に話を振ったんです。ところが岐阜市が良しとしなかった。
それでまたこっちに戻ってきたので、もうこれはやるしかない、どんどん遅れていったら皆さんに迷惑がかかるということで決断しました。

 

ただし、措置施設というのは経営が難しい。
だからこの措置というものの矛盾点とかをいろんな形で収集して、全国老施協から厚労省あるいは総務省に投げかけることを計画しています。

 

私はあえて火中の栗を拾う形でこの和(なごみ)を作りました。今、見事に赤字です。だけど、私は身をもって措置の矛盾を打破していかないといけない、という思いでやってます。

 


現在は制度変更により契約が主流となっていますが、一部において措置制度が存続しています。
これについては、当施設の属する自治体ではありませんが、長野市の資料による説明がわかりやすいため、参考までに紹介いたします。
https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/1375.pdf


 

特養もこれからは赤字化していくでしょうね。国の方もたしかに財源的に厳しいことはあると思うんですけど、でもセーフティーネットがなくていいのか。

 

ここは養護老人ホームの中の盲に特化してるわけですけど、養護ですから贅沢しちゃいけないというのがあるように感じます。
でも、視覚障害害というハンデがあったことで(十分な収入を得られる)仕事ができなかったという人がいたら、そういう人たちが高齢者になって生活できなくなったときに、じゃあタコ部屋みたいなところでいいのか、と言えば、絶対違うと思います。

 

だからこそ余生だけでもゆったり過ごしてほしいという思いがあって、私はあえて養護ですけど全室個室にしました。そして視覚障害があるとすると、構造的にシンプルな方がいいだろうと平屋の建物にしました。

 

各棟に1つずつある大食堂。高い天井、太い木の柱と梁が重厚感を感じさせる。
柱は木のぬくもりを感じることができるようにあえてコーナーカバーなどはしていない。

施設入所で幸せになれるご本人やご家族がまだまだ困っている現状

Q.5月21日に事業を開始されて今の段階での率直なご感想をお聞かせください。

 

措置の施設なので行政の理解がないと利用者が入ってこられない、というのを聞いてはいましたが、実際すごく経営面では大変だと思います。

 

実際の視覚障害の方や家族さんが見学に来てくださって、県に初めて作っていただけたということで、感謝の言葉をいただくのはすごく多いです。なんですけどなかなかそれが入所に結びつかないというのがあって、やっぱり措置入所の壁というか条件が難しいというところで、うちも困りましたし、家族さんやご本人も困ってるなというのがわかりました。

 

いま3名の視覚障害の方が入っとるんですけど、毎朝顔を見てお話しするんですけど、こんないい施設を作ってもらって嬉しい、と。今までいろんな養護とか特養とか入ったけどここが一番いい、と。

視覚障害者に対しての職員の理解があるので、みんな声をかけてくれるし、逆に自立しないといけないところは、いろいろ説明してくれてやらなあかんなと思うし、ここに来れて幸せや、と言ってくれるのがありがたいです。

 

入所者の使い勝手に配慮した一例。
洗濯機のタッチパネルを工夫。
操作部の必要なボタンだけを押せるように手作りのカバーで覆っている。

 

 

Q.現在視覚障害の方の入所は3名(視覚障害の無い方を含めると11名)ということで、県内のご高齢の視覚障害の方が入所に至ってない理由は、措置による条件面の問題なのでしょうか? それとも周知活動などほかの要因なのでしょうか?

 

広報という面では行政回りは岐阜県ほぼ行かせていただいてる現状ですし、岐阜新聞さん中日新聞さんもいろいろやっていただいて、あとは岐阜県視覚障害者福祉協会のネットワークでだいぶ広報いただいてるので皆さん知ってはいただいてるんですけど。

 

最近一番ひしひしと感じるのは、視覚障害の方ってひとりで生活されてない方が多いんですよ。家族さん、息子さんとか娘さんが同居して面倒みてられるんですけど、結局支援があったり家族さんの収入が同一世帯で入ってくると、措置の枠に入ってこないんですね。
本人さんひとりだと措置の対象なんですけど、家族さんの支援があるから、今支援があるならそのままいってほしい、というのが行政の考えなんです。その辺の温度差があります。

 

行政によっては、このままいったら負の連鎖で家族さんにも迷惑かけるから措置だね、と理解してくれるところもあるんですけど、やっぱりなかなかお金の面で、家族さんの支援があるなら措置してわざわざ施設に入る必要ないじゃないか、というのが、一番の課題じゃないかなってすごく感じますね。

 

家族さんも窓口に行かれると、そういう理由で行政から跳ね返ってきてしまいますから。で、(措置入所ではなく)契約(での入所)にすると自己負担が高くなる。そうなると、もうどうしたらいいかわからない、となって今のまましかないかとなって、その辺の間に挟まれてる方がかなりの数いるんじゃないかと思います。

 

 

Q.すると、現状ご家族の方が何とかぎりぎりの状態で支援されてる中にも、本来は入所していただくほうが良いと思われる方もいらっしゃるのですね。

 

そのほうが幸せになられる方もいらっしゃいますよ。
今朝(当日朝の新聞に掲載されていた介護疲れによる痛ましい事件)の人も一生懸命やってたと思いますけど、お母さんだって施設に入ってればこのような事件の被害に遭うこともなかったし、(手をかけた)息子さんにしたってもっとゆったりした生活を送っていたと思いますよ。

 

そこまでに行きつかなかったというのは、私は制度設計ミスだと思います。それと同じように、ほんとうに困ってるのにいわゆる措置の壁みたいな形で施設に入れなくて苦労されてる方は、掘り起こせばかなりおられるんじゃないかなと思います。

地域に根差した施設づくりこそが入所者さんと職員の生きがいになる

Q.施設運営をおこなう上で最も大事にされていることを教えてください。

 

私はもともと児童福祉から始まって児童養護施設に入職したのが26歳のときなので、ですからもう40年以上前です。その頃の施設っていうのはほんとに閉鎖的でした。

 

たとえば車で地域の中を走ってると、お母さんが子どもに向かって「あんた横着ばかりしてると〇〇施設に入れるよ」という声が聞こえてくるんですね。悪いことをした人が施設に入れられると言われてるような情けない思いをしたんです。

 

そのとき、施設が地域に開かれてないからそういう誤解を招くんだ、と思いました。だから施設というのは地域に理解されるためにどんなメニューを持たなきゃいけないか、ってことを一生懸命考えました。
つまり地域の人たちが施設に来たいなと思えるような状況を作るためのメニューを仕込まなきゃいけないと思ってます。

 

それは職員の理解もなしにはできないですけど、職員もそのときは業務負担が増えるかもしれませんけども、それをやることで入所者さんがいきいきしてくれれば、結果的に業務は減るんですよ。自分でできることはいきいきやってくれるようになるわけですから。

 

だから信頼関係ができたら、完璧な寝たきりの人が排泄介助でオムツを替えるときに、ちょっと体を動かしていただくだけで職員はずいぶん助かるんですよね。
「一生懸命やってくれとるんで私も少しは何とか動いて体を浮かそう」と思ってくれるかどうか。これって信頼関係をまずは作らなきゃいけないことなんですね。そういうことが大事だってことを私は職員には徹底して教えます。

 

業務の省力化というのは、基本的には働きやすい環境づくりをすることから始まると私は思っているので、そのためには地域に根差した施設づくりというのを一番に考えてます。地域に根差すためにいろんなことをやっていくと、それが結局入所者さんの生きがいにもなるし、職員の生きがいにもなるように思います。
その中から、今日1日楽しかったよっていう笑顔を醸し出せると私は思ってるんです。

これからも皆さんに安心感とご自身のやりたいことを提供していきたい

Q.超高齢化社会を迎え、高齢になって目の病気で視覚障害になる方も増えると想定されますが、今後どのような存在でありたいと思われますか?

 

後天的な視覚障害者はこれから増えてくると私は思っています。
介護の話をすると、認知症っていうのは今は当たり前のように言いますけど、私が24年前に施設を作ったときは「なんで特養が必要なんや」って地域から言われました。
なぜかと言ったら、それほど認知症の人が地域の中にいたわけじゃないんです。だから認知症の方がお見えになる家に対して、「あそこの家は大変そうやなぁ」と他人事だったんです。

 

ところが厚労省の予測をはるかに上回る勢いで認知症っていうのが増えてきたんです。だからあっちにもこっちにも認知症の人がいて、「えっ、俺も70過ぎたらあぁなるのかな」と思う人が増えてきました。だから、認知症に対して心配になるんです。

 

それと同じように、加齢にともなって視力を失う人たちがあっちこっちに出てきたら違う形の展開になると思います。私はそれを期待してるわけじゃないですよ。でももしそうなったとしたときに、ここに和(なごみ)という視覚障害者の施設がある、という安心感、これがものすごく大事だと思ってます。

 

今はそう思われてないから、わずか11人(うち視覚障害者3名)しか入ってないですけど、将来視覚障害の方が増えてくる、そうなったときに「あぁ、よかったなぁ」と思ってもらえる施設にしていかなきゃいけないと思いますね。

 

 

Q.では最後に、こちらの施設のウリをご紹介ください。

 

たとえば、畑を借りて作物をみんなで作って、視覚障害の方でも一緒に散歩にいって、ピーマンを穫ってもらうとか。今まで1回も穫ったことなんてないって言われて。「私たちはできたあとの料理を食べることはあっても、なってるものを獲ることがなかったのでそういう体験が楽しかった」って言ってくれました。

 

自家菜園。収穫作業も楽しみのひとつ。

 

あとは、平屋なのでどれだけでも動けますので、雨の日でも運動はどこででもできるとか、外にも毎朝みなさん敷地の突き当りのお地蔵さんに手を合わせに行くついでにワイワイ散歩をしてます。
みんなで話せるというのがありがたい、とも言ってくれてます。

 

お地蔵さん。ご近所の石材屋さんで一目惚れ?されて施設へ。
入所者の散歩の目的地にもなっています。

 

それから毎朝、ここ(施設内)の仏間でお経を唱えられて、そのあと、新聞記事をピックアップして伝えることをはじめました。そういうので視覚障害の方にも情報をお伝えするっていうことをしています。

 

施設だからこうしなければいけない、っていう考え方はあまりしてないんです。興味のあることを増やしていくのが良いから、今までピーマン獲ったことなかったのが獲れた、というのは素晴らしいことだと思います。

 

強制はだめですけど、本人が喜んでくれるんだったら、自然の中で過ごせるというのはより人間らしい生活なのかなって。これだけ広い空間の中だし、外に行っても自然の中じゃないですか。
視覚障害の方って感性も鋭いですしね。だからきっといろんなものを感じると思うんです。

 

やっぱりここに造った最大の理由は、小鳥のさえずりであったり、風の通るほんと自然の中でいられるということですよね。ある意味ゆったりした時間が過ごせればいいのかな。その中で自分がやりたいことを少しでも提供できる施設になれば一番いいんだろうなと思いますね。

 

取材日:2021年7月27日

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須惠 耕二 様 「盲学校のアイデア」と
「大学のものづくり」が生み出す絆
熊本大学 工学部技術部 電気応用グループ グループ長 技術専門職員須惠 耕二 様
プレゼントを渡しに行ったのに、 僕たちがプレゼントをもらったみたいな気持ちです

Q.全国の盲学校へ教材をプレゼントされているとのことですが、活動の経緯について教えてください。

 

日頃は学生実験の指導や学科の先生たちへの実験装置の開発などをしています。
7年ほど前に、工学部内で「学生のものづくり教育プロジェクト」がありました。我々が学生に「ものづくり」を教えようというものです。
丁度同じ時期に、大学内で技術職員の全国大会がありまして、当時、他大学で視覚障がい者の教材を個人的に開発されていた方が参加されておりました。彼が発表された内容を聞いて、非常に衝撃を受けました。日頃私たちの仕事というのは、学内で学生に向けての教育で、直接外に繋がっていく働きをするというのが、全然頭に無かったものですから。

 

技術系の職員は先生や生徒をサポートすることが「当たり前」と思っていたところに、「あ。そうか。別に外に出てもいいのか。自分から動いてもいいのか。」という感覚になったということですね。

 

そうですね。大学の外に対して直接的に関わりを持って活動されていることに衝撃を受けましたね。しかも、誰かのサポートを受けるわけでは無く、仕事の中で自分自身の研究テーマとして開発をやっているということがすごいなと。

 

我々はどちらかというと、立場的に先生たちの支援であったり、学生たちの指導であったり、サポートしていく仕事が多いものですから、自分から「独自」で外と関わりを持って動かれていることに、目から鱗といいますか。働き方という意味では衝撃だったといいますか…、驚きでしたね。

 

もちろん学生に教えるのが仕事ではありますけれども、発表を聞いてからは「このままでいいのかなぁ…」と、一月半ぐらいずっとあれこれ考えているうちに、段々と「何かした方がいい」というより「すべきだ」という想いがとても強くなりました。

 

しかし、熊本大学では教育学部も含めて視覚障がいの先生と繋がりがある方がいらっしゃらなくて、伝手が無かったんですね。仕方が無いので、腹をくくって、熊本盲学校さんへ飛び込みのお電話をしました。
「何をしていいのかわからないのですけれど、何かお手伝いさせてください」とお伝えしたのですが、当時の教頭先生は、今の言葉でいう「塩対応」ですね(笑) 当然、先方からしたら突然こんな電話が来たら怪しむのが普通なんですけどね…(笑)

 

電話した経緯をすべてお話したのですが、「こっち(須惠さん)の仕事にとっておいしい部分がある」というようなことを想像されたんだと思います。私としては決してそういうつもりではないことを正直にお伝えしたところ、教頭先生が「一度、盲学校に来てみませんか?知ってみて、考えてみてください。」とお話しくださったので、翌週にお邪魔させて頂きました。

 

当日は、全盲の先生含めて、4名の先生がご対応くださり、盲学校の教育について2時間かけてじっくりご教示くださいました。そしたら、益々何をやっていいいのかわからなくなっちゃったんです(苦笑)
大風呂敷広げたはいいけど、「うわぁ…!どうしよう!」というのが率直な感想でした(笑)

 

それを察した先生方が「まぁ、持ち帰ってゆっくり考えてみてください」と話してくださり、お暇しようとしたときに、同席されていた「教具コーディネーター」の先生に呼び止められ、「修理して欲しいものがあります」と言われました。

 

パソコンに繋いで点字のキーを打てば読み上げてくれるソフトでしたが、これを開発された先生が文科省に移られたことと、パソコンも古くなって破棄してしまった、とても役立っていたものなので修理して欲しいとのことでした。
実物を見たら、手作りのキーから電線が7本くらい出ているだけの部品だったんですね。一度、持ち帰らせてもらって、グループの若い人たちと一緒に話をして「みんなでやってみよう!」ということになりました。

 

そして、開発に入ってから一か月半後に試作品を持っていきました。
すると、ものすごく喜んでくださって「是非これを置いて行ってほしい」と言われたのですが、まだ試作段階だったため、「クリスマスまで待って頂けますか?そしたら、学生たちで作ったものをプレゼントにしてお届けしますから。」とお話させて頂きました。

 

その際に、いくつか先生方から提案や要望頂いた内容も加味して改良を施し、大学生に作らせてクリスマスにプレゼントしました。当時、熊本盲学校さんには目の見えない小学校一年生の子が3人同時に入学されていたので3台製作しました。

 

結果、大変喜んで頂けて、製作した教具には録音機能がついているのですが、その機能を使って盲学校の生徒さんが「ありがとう」と打ってくれまして。製作した大学生もその場にいたのですが、「プレゼントを渡しに行ったのに、僕たちがプレゼントをもらったみたいな気持ちです。」と言ってくれました。今回、修理依頼がきっかけとなりましたが、やってみてよかったなと思いました。

 

年明けに盲学校の先生から、「これを是非全国に紹介したいです。2月に奈良で研究会があるので持って行ってもいいですか?」とお問い合わせ頂きまして、僕たちも参加させて頂くことになり、その場紹介頂させてきました。

 

そこでアンケートを取ったのですが、60台くらい欲しいという結果になりまして、「うわぁ!これは大変だ!」ということになり、現在の活動が始まっていきました。

色んな壁が出てくるのですが、その度にどこからか 手を差し伸べくれる人が現れましたね。不思議なくらい。

ここまでくると、個人だけの活動では収拾がつかなくなりますよね。

 

はい。大学の中でも、どうやって仕組化するのかというところになりました。
最初は、私たち職員が空いている時間を使って製作し「販売」という形をとれないかという話もしていたのですが、大学として前例がないことなので、色々と難しい部分もありました。

 

その時に、最初の年のクリスマスに教材を持って行った学生が「須惠さん、今年もやりませんか?」と言ってくれて、「すごく良かったので、もしやるなら後輩たちも連れてきますよ。」と言って7,8人くらい連れてきてくれたんです。自然とプロジェクトチームができたことで最終的に落ち着いたのは、学生のモノづくりとして作った分を贈ろう。ということになりました。

 

面白いことに大学にとっては、私たち技術職員が製作して出すというのは、直接の職務ではないものの「学生が取り組む」となると、これは非常にいいニュースになるんですね。
そして、私たちも「学生に教える」というのは仕事ですので、筋が通るといいますか。途端に風向きが変わって道が開いた感じになりまして、学生たちのためのプロジェクトとして予算が付いたり、学生たちも自分たちで予算を取ったりすることができるようになって活動が本格化しました。ですが、改めて思うのは、そもそもの始まりは、腹をくくってかけた電話ですね。あれが一番の大きなスタートだったのだと思います。

 

最初に対応くださった教頭先生も後で校長先生になられて、全面的にバックアップしてくださり、味方で居てくださったです。よく一期一会といいますけども、本当にそう思います。

 

想いが通じた部分が大きいですね。「何か裏があるのではないか?」と感じているところを、誠実に純粋に「お手伝いがしたいんです」という須惠さんの気持ちが通じたからこそですよね。今までのお話を聞いているだけでも、人との繋がりや温かさというのも感じます。学生さんたちの行動もそうですよね。

 

助けられましたね。とっても。当然、新しいことをしているので、色んな壁が出てくるのですが、その度にどこからか手を差し伸べくれる人が現れましたね。不思議なくらい。

 

例えば、どうやって必要としている人に知ってもらおうかと考えていたら研究会へのご招待を頂いたり、誰が作るかで話が進まなくなったら、いくつかの盲学校から「あれすぐに欲しいんですけど。」と大学に電話が掛かったり、人手の問題や運営について悩んでいたら、自然と学生から手を挙げてくれてプロジェクトになったり…。自分としては、スタートは切ったけど、その後はおのずと道が開けていって今にたどり着いているような気がしますね。

ものづくりを通じて、「技術って役に立つんだな」とか 「私(僕)でも社会貢献できるんだな」ということを肌で感じてほしい

Q.本プロジェクトに関わられている学生さんは何人くらいですか?

 

最初に声を掛けてきてくれた学生が、自主的にサークルを作りまして、今は27~28人くらいですかね(2018.08.21時点)。

 

これがサークルのメンバーで、それとは別に、「パッチンちずる(※)」の製作をものづくりの講習会として、工学部の学生を集めてやっています。

 

「皆さんの作品は盲学校で実際に教材として使われますよ。だから、世の中の役に立つ、社会貢献になるものづくりを体験できますよ。これは熊本大学でしか経験できないので是非参加してみませんか?」とアピールさせてもらったところ、申し込みが27人もありました。ですので、合わせると50人を越えます。私もびっくりです(笑)

 

どこかで「人の役に立ちたい」という気持ちがありますよね。特に学生さんは。でも、そういう気持ちを持っていても、一人ではできないし何をしたらいいかわからないし、こういう取り組みがあると参加しやすいですし、また集まるとパワーがすごいですよね。

 

大学は、私たち職員もそうですけれど、「生産する力」は持っていないんですよね。「パッチンちずる」は50校近くから依頼が来て、これを自分たちで作るっていうのはとても大変なのですが、学生がこれだけ集まってくれると一人一台担当してくれたら、ほとんど出来上がりますので助かりますよね。

 

次は、この取り組みを9/23に高校生向けに製作イベントとして開催します(※イベントはすでに終了)。そこでは、サークルの学生がものづくりを教える側に回ってもらうんです。

 

わああ!いいですね!どんどん広がっていく感じがしますね!
最初は須惠さんから始まって、次は学生が教えて…継承されて行く感じがいいですね。

 

そうですね。このような形で、学生たちにもプラスになるし、来てくれた高校生たちにも、このものづくりを通じて、「技術って役に立つんだな」とか「私(僕)でも社会貢献できるんだな」ということを肌で感じてほしいという想いがあります。

 

この高校生向けの活動は6年目ですが、この取り組みは「社会性がある」ということで、外部から予算をつけて貰えているのでありがたいですね。大学にはプレゼントするための予算は無いのですが、学生たちのものづくりプロジェクトであったり、例えば、科研費や外部の財団であったりと「社会貢献をするためのものづくり」という申請に対して助成を頂く事ができ、活動を続けて行けていますね。

 

※県ピースをはめ込む際に磁力でパチン!と吸い付き、音声で県名を教える地図教材。パチンと吸い付く地図パズル「パッチンちずる」と名付けられた。パネルは交換式で、本体に繋ぎ替えることで音声も切り替わる。

「実際に使う人たちの意見を直に聞くこと」という過程も 学生にとってとても大切なやり取りだと思っています。

この「ポップまっぷ」(パッチンちずるの前の作品)は53校に出させてもらいましたが、これも外部の資金で、大学生や高校生たちが作って全国の盲学校へプレゼントしました。これは、県のピースを押すと音声で県名を教えてくれるものですが、パッチンちずるのように取り外しは出来ません。それに対して、先生方から、全国を学ぶ前に、まずは自分の地方から勉強させたいというご意見や、取り外して県の形が分かるようにしたいとのご要望がありました。

 

「パッチンちずる」誕生のきっかけとなった「ポップまっぷ」

 

一つできると、さらにね…(笑)

 

色々とまたアイデアが…(笑)
先生方は、盲学校という現場を見ている専門家として、ニーズやアイデアはたくさんお持ちなんですけれども、ものづくりを専門とされている方ではないですよね。私たちや工学部の学生たちは、ものづくりのための勉強をしているわけですけれども、「アイデア」は何もないんですよね。

 

ですので、先生たちから「アイデア」を頂いて、私たちが「カタチ」にすることで提供して、また先生方から「ありがたいダメ出し」も頂いて、ブラッシュアップさせて、そうやってよりよいものをプレゼントできるようにと努めています。

 

ちなみに先ほどのパッチンちずるの実際の改良点というのは?

 

試作機では、どれが「湾」で、どれが「県境」なのかわからない、と。学生たちと検討して、海と陸を手触りで認識できるよう、海の部分には壁紙を貼って、ざらつきでわかるようにしました。
また、パーツをはずした時に、表裏が分からない、どっちが上か下か分からない。というご意見があったので、県庁所在地の場所に北を示す△マークを付けて、これらの要望をクリアしました。

 

右が改良前。左が改良後。

 

なんと、スマートな…!

 

このようにして、先生とのやり取りの中でブラッシュアップしていき、プレゼント版にもっていくという。この「実際に使う人たちの意見を直に聞くこと」という過程も学生にとってとても大切なやり取りだと思っています。
自分たちが作ってきたものに対しての、社会的な評価を直接聞けるので。

 

全日盲(全日本盲学校教育研究会)では、今回2人の学生に来てもらいました。内1人は沖縄から来ている学生ですが、その学生が以前作った地図教材を沖縄の盲学校さんにプレゼントしたんです。そしたら今回、会場にその沖縄盲学校の先生がいらっしゃって、「貴校にプレゼントした作品は、こちらの学生が作ったんですよ」と紹介したら、「ものすごく役に立っています」と、とても喜んでくださったんですね。感想を直接聞けるのは学生にとってモチベーションが上がりますよね。

 

本当に広がりがすごいですね。想いのバトンが繋がっていく感じが…。

 

そうですね。すでに200台以上全国に送っている取り組みとなっていて、しかも全国で熊本大学だけがやっているということもあり、大学もいろいろバックアップしてくださっていて、学生たちは楽しく取り組んでいます。

 

学生たちの中でも、「熊本大学といえば…これ!」という認識も広がっている感じがしますね。

 

そうですね。サークルは草の根でやってきましたが、2017年に公認サークルとなりました。
工学部の名前を使って活動ができるという体制に変わってきて、ちょっとしたムーブメントになっていますね。

関わることによって見る目が養われて行く

Q.このような活動をされ、色んな方と触れ合っていく中で、「バリアフリー」という点においても、意識されるようになったかと思うのですが、何か感じることはありますか?

 

今回、私自身が全く知らない世界に飛び込んでみて感じたのですが、「関わることによって見る目が養われて行く」と思うんですね。

 

この活動は「盲学校に実際に来てみて知ってみてください。」から始まったんですが、何も分からないまま盲学校に訪問してみて一番最初に驚きだったのが、盲学校の授業は、目の見える普通の学校の生徒とカリキュラムが一緒だったんですね。それにプラスして、目が見えない・見えにくいことへの自立・訓練が入っているとのことでした。

 

また、知的障がいをお持ちの生徒さんもいらっしゃったりするわけですが、学習曲線としては立ちあがりは遅いかもしれませんが、同じものを教えていくというのも驚きでしたし、「目が見えない」っていうのは、単純に「全盲」なのかそうではないのかということでは無くて、「一部分しか見えない人」「明るさがまぶしくて見えない人」など、一人一人の個人差がすごく大きいというのも知らなかったですし…。関わることによってたくさんのことを知りました。

 

「バリアフリー」というものを考えた時に、取り組んでくださっている企業はありますけれども、それは社会の中では少数だと思います。
私たちが子供だった頃に比べれば、現在は学校でもバリアフリーについての教育が組まれているとは思うのですけれども、それでも本大学へ入学してくる学生たちに聞くと本当に何も知らないんですよね。

 

ですので、社会全体でも知るところから始めることができたら、もっといろんな動きが始まっていくのではないかとは思います。少なくとも企業の方々はそれだけの大きな技術力をお持ちですので、どこにニーズがあるのかということを知っていただければと思います。

 

もちろん、「視覚障がい者」というのは非常にマイノリティですし、全盲というのはさらに少ないですから、企業としての市場原理の中で「製品」として持っていけるのか。という点においては難しいところもあるは思うのですけれど。

 

色んな方が、現状をまず知ることから始めれば、恐らく、その人なりの持っていらっしゃるチカラの中で生み出せるものはどんどん出てくると思うんですよね。全国各地で小さな働きをしていらっしゃる方はいっぱいおられると思うんですよ。

 

ですので、それをもし、全国各地の色んな方に知ってもらうことができ、連携することができたら、それはもっと大きな動きになっていくだろうなと思います。

 

私もそうでしたが、ある学校の1人の先生から「この子のためにこういったものを作ってほしい」と言われることが割と多いんですよね。それを作って渡したときに、「本校にも同じような子がいます。うちにも欲しい。」という形になっていって、全国規模だと何十校というニーズが来るという形になっていくんです。

 

ですので、恐らくニーズを知っていらっしゃる人の想いなどが世の中にうまいこと繋がっていく何かが出来たら、もっとバリアフリー化に対して「マンパワー」が集まっていくんじゃないかなって気はしています。「草の根にもネットワーク」っていうんですかね(笑)

 

「じゃあ、その具体的な方法は?」と言われると分からないんですけれども…。

大学の「技術職員」という立場でなければ、 できなかったことだったんだな。

弊社も「ものづくり」の企業なので、「歩導くん ガイドウェイ」という製品自体も、新しいものというところで、同じ境遇ではあるかなと感じますね。
まずは「知っていただく」という所で地道に活動していますが、それが今ようやく、全国の盲学校さんに知って頂けるようになってきて…。からの次のステップのところが悩みどころですよね。
当事者のお話を聞くと「諦めないでやってほしい」「いつか大きな花が咲くから」というお言葉を頂いて、それが一番の励みではあるんですけどもね。

 

そうですよね。仰る通りですね。
ただ「企業」としてやること、「大学」としてやること、そこには一つの違いがあるかもしれません。

 

これを大学としてどう届けるのかを考えた時に、私たちも最初は「売る」形を考えましたけれども、結果的に「寄贈する」という方向にたどり着きました。
大学のものづくりというのは、基本的に先生方は最新の技術で開発していくという「研究」が基本になります。そうして特許とか論文がどんどん出てきて、これを民間企業に産学連携という形で提供して行くというのが1つのスタイルとなっています。

 

企業の方に、このようなお話をするのは申し訳ないのですが(苦笑)たくさんの数が出ないと、それは製品として利益に繋がっていかないですよね。民間が作るとなると、金型から起こしたり、デザインやプログラムとか、色んな所に人の力とお金がかかっていったりして、当然それを回収しなければいけないという所がありますよね。社会貢献だけでは無くて。
熊本大学では、結果的に「寄贈」という考え方になりましたが、研究を仕事とする「先生」たちにとっては、同じものを大量に作るというのは研究活動には当たらないんです。ですので、この活動を研究室の先生方がやろうとしても進まないんじゃないか。とは思っていました。

 

その点、私は「先生」ではなく「職員」ですから、学生にものづくり指導として、毎年教えることができて、同じものを学生のみんなが作ってくれるという所で…。うまい立ち位置に居たんだなと。あとから思いましたね(笑) 大学の「技術職員」という立場でなければ、できなかったことだったんだな、という風に思ってやっていますね。

 

なんだか、目の前にレールが敷かれているようですね。

 

ですね。不思議な感じです。ものの見方や仕事での立ち位置が変わっていった気がしますし。

 

私は技術部という組織にいるわけですが、この活動を理解してくれる組織があるからこそだと思うんですよね。「いや。それダメだよ。」って言われたら、仕事としてできなくなるけれど、「これはもう須惠さんじゃなきゃできないから、やって。」と認めてもらえて後押ししてくれる職場があるから、この活動をどんどんやらせてもらっているといいますか。ある意味好き勝手やらせてもらっているといいますか(笑)

 

周りの理解って大事ですよね。

 

理解者を増やすっていうのは、本当に時間がかかりますけど、結果的には大学の皆さんが見て、「これは、熊本大学としてやっていいよね!」という土壌作りができたことが、本当に大きかったと思います。そのためには数年間は調整が色々と必要になりましたが…。

「世の中と繋がっている活動」を学部生の早い内からする機会を。

例えばの話ですけれど、この先、須惠さんが熊本大学を離れる時が来たとしても、この活動は代々続いていく形がもうでき始めていますよね。

 

そうですね。学生中心の活動になってきていますね。
学生たちも自分たちで教材を開発して、数十校に出して行っていますし、更に改良を進める活動もしています。例えばAndroidのアプリと連動する教材を作ったり。ものづくりの技術を専門で勉強していますからね。少しずつ工学部らしいものが生まれてきていますね。

 

上が「ぴん六」、下が「こえてん」

ぴん六:ピンケース(蓋付き)からピンを取り出し、6つの穴に挿して作った点字を、
読上げボタンで音声化する。
こえてん:「ぴん六」の思想を発展させ、押しボタンの凹凸で点字を表現し、音声で確認できる教具。
大学生メンバーによるオリジナル開発作品第一号

 

うわぁ…。鳥肌立っちゃいました。
楽しいでしょうね!学生さんも。自分たちで生み出す。という感覚といいますか。

 

そうですね!このような「世の中と繋がっている活動」を学部生の早い内からする機会というのはまずないので。これが、大学院の修士とかになってきますと、ある程度、研究室でも民間との連携は出てきますから、関わる学生は出てくるんですけれどもね。
私も学生のときそうでしたが、一年生の時には「これって何の役に立つの?」って疑問を持ちながら勉強していましたね(笑)こういった実例がそばにあると、勉強する学生たちも「あ。自分たちが勉強しているものは、こういう風に使われているんだ」って筋書きが見えるので、勉強に対しての姿勢が変わってくるみたいです。「あれが勉強したい!」と積極的に言ってきてくれます。

 

授業を受けている中でも、「あ、これ。今度、あれに活かせるんじゃないか?」って思ったりするわけですね。

 

そうです。そうなんです。アイデアに変わってくると、身の入り方が違いますね。

 

ちょっと、学生時代をやり直したくなりますね(笑)

 

私も学生時代に今のようなことをやっていたら、もっと別の仕事についていたかもしれないですね(笑)私は電波高専でしたので、どちらかいうとモールスとか。通信屋さん関係が専門でしたので。

 

では、昔からものづくりに興味があったとか…?

 

趣味ではありましたね。日曜大工とか、バイクいじりとか、いろいろしていましたけれども、
仕事としてやるようになったのは、熊本大学に移ってきてからですね。

 

以前は情報系をしていましたが、そこを離れまして、電気関係のものづくりを考えるようにになってマイコンの勉強をみんなでしまして、その翌年にこの活動となりまして。
やったことがすぐ次につながる、導かれているのか…。不思議な感じですね~。

「技術は、人を幸せにするためにある」

Q.ものづくりを通して、お伝えしたいメッセージがあればお願いします。

 

偉そうなことは言えないのですが、「技術は、人を幸せにするためにある」と思っています。

 

多くの技術というものは、軍事技術から発達していることが多いんです。インターネットとかはまさにそうですね。社会を豊かにする方法にもなれば、人を傷つける方法にもなっていきます。

 

学生たちが勉強している技術も全く同じで「諸刃の剣」の部分もあると思うんですけれども、平和な社会で用いれば、人の役に立つものであると思います。

 

今、私がさせて頂いているのは、身近な所で困っている方といいますか、私の場合、「盲学校の子どもたち」というよりも、それを「教える先生方」を対象としていますね。
ものづくりを通して、先生方が「良い教材を作っていただいたおかげで、教えやすくなりました。」というお言葉を頂けるのは有難いことだと思いますし、「教材を使っている子供たちが楽しそうに勉強している。今まで関心を示さなかった勉強や難しいとしか言わなかった勉強に「面白いね!」といって興味を示すようになったよ。」というお言葉が、もう一番の賛辞だと感じています。

 

出来上がった教材が、手作り感満載で、特許でも何でもなく出涸らしの技術しかないかもしれないけれど、「使ってもらえるもの」を作って、実際に使った先生たちも子どもたちも喜んでもらえて、それがダイレクトに分かるのは、本当にものづくりの醍醐味だと思います。ものづくりの中でこのような体験させてもらっているのは、本当に幸せなことだと思いますね。

「彼らと一緒でないと、これはやっていけない。」という想いがあります。

「ありがとう」という言葉が嬉しいですよね。苦しいことが9割ぐらいあっても(笑)その一言ですべてが報われるといいますか。

 

本当にそうですね(笑)
でも、私自身も「取り組ませて頂いてありがとう」という想いがいつもありまして、実は学生たちに対しても思っていまして。

 

今でこそ、学生たちも20数人集まっていますけれども、みんながいなかったら、この活動は進まないわけですから、本当に「来てくれてありがとうね」という思いです。

 

年齢的に「須惠先生」と呼ばれがちなんですけれども、「先生」じゃなくて「須惠さん」でいいよ。って言っていまして。立場的な「先生」と「生徒」という考え方を私は持っていなくて、一緒にやっている「仲間」という感覚でして、30歳くらい年が離れてはいるんですけれども(笑)「彼らと一緒でないと、これはやっていけない。」という想いがあります。

 

先ほど、「理解してくれる環境が」とお話されていましたけれども。本当に「須惠さんだからこそできる。」といいますか。以前、展示会でお会いした際に、少しだけお話させて頂き、その後のメールの中でのやり取りからも感じ取れましたが、生徒さんとのコミュニケーションがよくとれていらっしゃる。といいますか、生徒さんたちから愛されているな。と思う所がありまして。

 

遊ばれてますよね(笑)

 

いやいやいや(笑)

 

いや。でも楽しいですよね。学生と一緒にワイワイやれるというのは。

 

色んな先生がいらっしゃるとは思いますが、須惠さんの場合は、私のイメージではありますが、受け入れてくれそうとか、話しやすそうとか、質問もしやすそうですし。気兼ねなく聞ける感じはありますね。

 

「全部教えちゃって身になるのかな?」という部分は考えて受け答えはしていますが、彼らなりに、取り組みに対しての意義をすごく感じていると思うんですよね。
一番のモチベーションはそこであって欲しいですね(笑)

「自分たちが取り組んでいることが、どれだけ人に喜んでもらえるのか。」を 体験できる

Q.実際、学生さんや卒業された方から、この取り組みに関するお声はありますか?

 

私、いつも学生には「大学の時間ってとっても貴重だよ」と話しています。だから卒業が近づいた学生には「貴重な大学の時間を使って、こういった取り組みをしてきた以上は、どんどん利用して役に立ててね。」と話しています。

 

たとえば、就活とかで、必ず聞かれるのは「大学の時、何をやっていましたか?」って質問ですよね?この活動に関わってきたことを全面的に話したらいいよ。と言ったら、数年前から「第一志望の会社には入れました」という声が聞こえてきまして。
やはり、このような話をしたら、面接官の方が食いついてくださって深い話ができました、と。

 

学生を募集するときに言っている部分でもあるんですけれどもね。「社会貢献はもちろんですが、就活の時にPRできる活動でもあります。」と。それを目当てに入ってくる学生もいます。でも、入ってきたら分かると思います。「自分たちが取り組んでいることが、どれだけ人に喜んでもらえるのか」を体感できるので。将来、彼らが社会に出ていくときには、同じ分野でやっていくことは無いと思いますが、ここで学んだ事、感じた事のハートをもった社会人になってくれることは、嬉しいことだなと思います。

 

「社会貢献がしたい」「ものづくりがしたい」「就活の話題作りにしたい」など、入口は人それぞれですけれど、活動に参加して、アウトプット(寄贈)をしてもらうことが一番大事だと思っています。

 

7年もやっていると、いろんな盲学校の先生たちとも関係ができあがっているので、さらなるニーズを頂きますし、期待もあるわけですよね。新しいものを作るだけではなく、これを続けていくというところに一つの使命が生まれてきていまして。「やーめた!」というわけにはいかなくなってきているわけです。それもあるので、学生がいろんな想いで入ってきても、彼らと一緒にやっていって、盲学校の先生たちに応えること(アウトプット)がいつも私たちに必要なことだと思っていますね。学生たちにも「早く、1・2年生を増やそうね。」と言っているんです(笑)

 

後継者ですね(笑)

 

学生は入れ替わっていくというのが一つの課題でもありますので。
4年すれば入れ替わりますから。院生まで行っても6年。大体、5年ぐらいで顔ぶれが変わりますね。そうすると、技術の伝承が大事になっていて、前に作ったいいものを後から欲しいと言われても作れる人がいなくなっている、というケースもあり得るんですよね。

 

長い間続けていくこと、後輩たちを育てていくこと、という点においても、学生たちと話し合っていますね。大学としてやっていく以上、ずっと消えない課題となりますね。

 

この取り組みで、一つの社会が完結していますね。小さな社会ができているというか。この取り組みに関わった学生さんは、社会に出ていくときに、胸を張って出ていけるイメージがありますね。

 

そうなってくれたらいいですね。
今は先輩が後輩を教えるようにもなってきているので、私はどちらかというと、ものづくりの講習会などをやって、人を集めるきっかけを作る側に回っている感じですね。
講習会で、ものづくりの1からを教えるのですが、参加者が作れるようになった頃に、「もし続けてみたかったら、サークルでやっていったらいいよ。」と声かけさせてもらっています。

 

学生の男女比としては、工学部だとやはり男性が多いのですか?

 

女子学生が多くて半分以上がそうです。そういった優しさがあるのでしょうね。きっと。
化学出身の学生も来たりしますし、やったことないけれどもやってみたい、とか。サークルですので、専門分野という垣根を越えて参加してもらっています。

「開発したものを届けなければ意味が無い」

Q.今、他に依頼されている案件はあるのでしょうか?

 

実物がここにはないのですが、校舎模型を作って欲しいと依頼されまして。

 

盲学校で目の見えない子が入学した時に、どこにどの部屋があって、トイレはどこにあるのか、自分が今どの位置にいるのか分からないことがすごく不安なんだそうです。必ず誰かが付いていないと移動ができないとのことで。

 

そこから、今どこにいるか分かるように自立活動の支援になるようにとのことで、手で触っても壊れない建築模型を作ってほしいと言われました。通常、建築家が作る模型って、見せるのが目的なので綺麗に作ってあるのですが、触ったら壊れやすいのです。ですので、教材として壊れずに使えるものを。と。

 

私は建築の知識は何もないので、建築の先生に相談して、学生募集をしてみましょう、ということになり、学生が何人か集まってくれました。

 

その内の1人から「自分の卒研(卒業研究)でやっていいですか?」と希望があり、まわりのみんなも協力するよと言ってくれたんですね。それで、その子が設計の中心部分を担って、始まって行ったわけですが…。

 

「卒研」となるとパワーがありますからね。全部の時間をその製作に費やせますから、すごいスピードで進んでいきまして、半年くらいかけて、ほんとにいいものができました。現在も熊本盲学校で使われているんですけれども、フロアごとにパッと外せて、触察できるようにアクリルで作ってあるんです。

 

当時、盲学校の6年生の子に触ってもらったんですが、はじめは高さの違いが分からないと。基本、全盲の人は手の届く範囲にしか何があるのか分からないので、手掛かりなしに高さの感覚をつかむことは難しいようでした。

 

校舎模型を触って「どうしてここは低いの?」という質問から始まり、「低いところが幼稚部だよ。」と。次に階段部分を触ってもらったら、「あ!階段ってこういうことなんだ!これが上にあがるってことなのね!」ということが理解出来ました。

 

また、模型を触ることによって、自分が行ったことのない場所の存在があることを知ることになって世界が広がるんですよね。「え。こっちにもあるの?!」「これは高等部だよ。じゃあ、実際に二階の高等部のこの部屋に行ってごらん。」という話になって、まずは、模型を触って、今自分がいる所と目的地までの位置関係を確認して、頭の中にルートや壁の特徴をインプットしてから出発しました。

 

すると、今まで自分が生活してきた盲学校の世界と模型の校舎構造がフィックスしてきたようで、手探りながらちゃんと部屋にたどり着いたんです。それを見ていた熊本盲学校の先生が、「これはもう教材として使える!」ということで、これで行きましょう、となったんですね。

 

今は建築の学生が10人ほどのチームを別に作っていて、電子教材のモノづくりとは違うんですけれども、彼らも先輩後輩が一緒になってやっています。学校の模型って、一校に一台ずつですし、当然、他校と同じものはないので、必ず誰かが一から設計しなければならないんです。そしてそれは建築の学生でなければできないので。
遠方からの依頼が入ると、ネットで会話をしながらやっていますが、環境もしっかり整っているわけでは無く。ここも悩みどころだったのですが…。

 

まさか。ここでも、手を差し伸べてくださる方が…?!

 

いらっしゃったんですよ。寺原保育園の理事長のご主人さんが建築会社の社長さんでして、私も個人的に知り合いなんですが、このような取り組みをしていることを前々から話していたら、「学生さんがそういう取り組みをしているんだったら、資金面でも協力するよ。」って仰っていただけたので、建築の学生を連れて工場に見学に行かせてもらったんです。

 

学生から直接社長さんへ模型を使って活動の話をさせてもらったら、それを聞いた社長さんが大学へ寄附金を出して応援してくださったんですね。頂いた寄附金で、パソコンと設計ソフトを一式買って作業環境を整えることができたんです。

 

応援して下さる民間の方や会社の方などとの連携もありますし、他にも個人の方からもサポートいただいております。水俣にいらっしゃる視覚障がいのご年配の奥様からは「応援したいから」と、毎年寄附金を頂いていますし、また、沼津の盲学校にプレゼントする予定の教材については、そこの卒業生でいらっしゃって、地元で全盲ミュージシャンとして活動されている方が、これまでの活動で手にしたチャリティの資金があるから、それをぜひ母校の子供のために使って寄贈してほしい、と。

 

他にも盛岡市にある「手で見る博物館」からも所蔵品に地図教材を一台欲しいと言われておりまして。チャリティ資金から、そちらにもプレゼントする予定です。

 

ひっぱりだこですね!!賛同してサポートしていただけるのは、心強いですね。

 

少しずつですけれども、民間の方の応援と大学生のものづくりとの連携が始まってきたのかなという気がしています。

 

社会には「応援したい」と思われている方は、たくさんいると思うのですが、伝手が無いんです。

 

ですので、将来的には「熊本大学の学生がものづくりをしますよ。社会の皆さんが社会貢献をしたいときに私たちが間に入ることによって橋渡しができるかもしれません。」といった形を次のステップにする感じが見えてきたのかな、と感じています。

 

世の中にはクラウドファンディングという考え方も出てきていますよね。「開発しても手元に届けられなければ意味が無い」と思っていますので、それも視野に入れながら、学生たちと一緒に「どのようにしたら必要としている人のもとにちゃんと届けられるか。」ということを目指して、今後も活動を続けていきます。

 

 

取材日:2018年8月21日

 

盲学校用教材開発サークル Soleil ~ソレイユ~:
http://www.tech.eng.kumamoto-u.ac.jp/tenji/

詳しくはこちら詳しくはこちら

面 雅樹 様 寄付を通じて感じた想い
~多様性を受け入れられる社会へ~
株式会社トルハート 代表取締役社長面 雅樹 様
「いろいろ訴えかけても無視されて、思い通りに行かない。」
これが社会の現実なんだな。

Q.弊社とは御社からのお問い合わせを頂き、ご縁がございました。
きっかけは何だったのでしょうか?

 

盲学校さんへ寄付をしようと思いまして、私としてはカーテンを寄贈しようかと思っていました。
弊社は、床材、壁紙、カーテン、家具などの内装材の卸問屋をしておりますが、本社は金沢にございまして、そこでは、カーテンの縫製もしておりましたので。
しかし、盲学校さんの方から「仮設的に設置できるのもが欲しい。」「誘導マット(歩導くん)がいい。」とご要望がありましたので、「それでしたら、その方がいい。」と思いまして、歩導くんを寄贈することにしました。

 

お望みのモノであればと。

 

そうですね。それが寄付の一番の目的ですし、こちらとしても、望んでいる物を寄付したいという想いはございますので。

 

そもそも寄付をしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

 

3年前(取材時は2018年)の3月の中頃でしたかね。金沢に切符を買いに行きました。その時、年配のご婦人がティッシュペーパーを配っていたのです。
アルバイトか何かな?と思ったのですが、それにしては、「○○店です。よろしくお願いします。」といったような声も聞こえず、ぼそーっと近づく感じで、何と表現したらいいのか悩むのですが…。なんとなく違和感がして、その時は通り過ぎたんです。
そしたら、その先にで石川県の盲学校の方が「点字ブロックの上に物を置かないでください」という啓発活動をしていたんです。
それを見て、先ほどティッシュを配っていたご婦人のお子さんが、盲学校に通っているんだなとピンと来たんです。自分が取った行動が恥ずかしいと感じまして、慌ててティッシュペーパーを受け取りに戻りました。

 

私の勝手な想像ではあるのですが、これが社会の現実なんだな。と思いました。
「いろいろ訴えかけても無視されて、思い通りに行かない。」
そんな社会を凝縮したような場面で、私は「通り過ぎる」という行動を選択してしまったことに大変恥ずかしくなりました。

 

違和感というのは?

 

そのご婦人の雰囲気が非常に控えめでして、ご自身でもどういう風に(啓発活動を)したらいいのか分からない。慣れていいないという感じが、すごくしました。
私は普段ティッシュペーパーを受け取るタイプなのですが。その、慣れない違和感から、受け取らなかったことが、今まで社会が障がい者に対して目を向けていないことと同じようなことをしてしまったなと、非常に反省しました。
今でもその時頂いたティッシュペーパーを持っています。

 

 

「点字ブロックの上に物を置かないでください、自転車を止めないでください」など、当然のこと言っているだけなのですが、自分がその人の立場に立てないと、狭い道路とかですと自転車が止めてあったりしますもんね。社会が関心を向けてくれないというのは辛いだろうなぁ…。というのを感じました。

 

そして、冒頭でお話したように、その後、盲学校さんにお電話をしまして、「このような商売をしているんですけれども、何かできませんか?」とお伝えしたところ、誘導マットのご希望を頂き寄付しました。

「自分が想像していたのと違うな」と気付かされたところはあります

Q.その後はこの活動を続けていらっしゃるのでしょうか?

 

2015年に誘導マットを1セット寄付しまして。
その翌年も、誘導マットの距離を伸ばしたいとのことで、引き続きもう1セットを寄付しました。
これは、私もいいのか悪いのかわからないですけれど、会社の経営状況もあって、厳しい時期にはしたくてもできないときがありまして…。今は残念ながらできていない状況です。

 

しかし、できることなら続けていきたいというお気持ちはあるということですね。

 

そうですね。ろう学校さんにも何かできないかなと思いまして、
カーテンやブラインドなどを寄付したこともあります。
弊社としては、まだ2年しか寄付できていないのに、創立110周年のパーティーに招待いただきまして感謝状を頂き、パーティーにもご招待いただきました。

 

感謝の気持ちが伝わってきますね。

 

私自身、関わることで考え方が多少なり変わってきたと思います。ある程度、現状が分かりますので。
ろう学校さんにお伺いした時は、幼稚部のカーテンがボロボロでして。「夏になると子供たちが(日差しが)暑い暑いと言って困っているんですよ。」と話されていたので、カーテンを寄付したり、また、「タイルカーペットもだいぶ汚れてしまって。」ということでしたので、そちらも寄付したりしていました。

 

現場の声って大事ですよね。

 

そうですね。先ほど挙げた2つの例も「県の教育委員会に話して変えて貰ったらどうですか?」と聞いてみたところ、「いやー…、予算がつかないとか言われて、困っているんですよね。」と仰ってたんです。
困っている現状が分かりますし、生徒さんを見ていると生活も見えてきます。
遠いところから学校に通っていたり、宿舎で暮らしていたりとか…。
あとは、耳の聞こえにくい方で補聴器をつけているけれど、話し声からエアコンの音から全部拾ってしまうとか…。

 

色んな音が一気に入ってくると思うと、体調にも影響が出そうですね。

 

ですよね。このようなお話も実際に聞いてみて、「自分が想像していたのと違うな」と気付かされたところはあります。普段生活していたら、そこまで見ることは無いですから、分からないですよね。
他にも、特別支援学校にも伺ったのですが、最近できたばかりで、とても綺麗だったのです。
設備もしっかりしておりますし。ですので、弊社が協力できることは無いかなと(笑)
先ほどのろう学校さんは110周年と申し上げたように、歴史が長いので、劣化しているところもあるんですよね。
実際に訪問してみて、職員さんや生徒さんが要望している物を聞いて、見て、現状を知ったうえで寄付することは、金額以上のものになるのではないかと思います。

 

なるほど。お金以上の価値が生まれるということですかね。

 

例えば、「困っているから、寄付します。」というのは、いくらか寄付したとしても、それが実際どこに何に使われたのかわからない。というようなお話も聞きますよね?
本来の目的のために寄付した金額の10%くらいにしか充てられず、
その過程で90%が使われてしまっていたり。
でも、このように現場を見れば、困っているのものが何か分かりますし、携わっている先生や生徒さんの日々の生活も見れますしね。
一日訪問させて頂いたくらいで分かるようなものではないとは思っておりますが、少しでも当事者の立場で感じることができたのかなと思います。

日頃接することのない環境を知ったことで、自分の考え方が変わった気はします

Q.他に何か感じたことはありますか?

 

ろう学校さんの110周年記念式典の時にも感じたのですが、本校に通っている生徒さんが小さい時から一緒という方もいらっしゃるので、繋がりが深いんですよね。
小中高とずっと一緒に生活してきているので、仲間との絆も強いですし、学校への思い入れもあるんですよね。ある方は、「自分が死んだら校庭に埋めてほしい」と仰っていまして。
こういうのを聞くと、自分にはない感覚だなと。そう思えるのが羨ましいと言いますか。
日頃接することのない環境を知ったことで、自分の考え方が変わった気はしますね。

 

経営者の立場の話になって申し訳ないのですが、会社としても身体障がい者の雇用率がありますよね。その比率をカバーしなければならなくて。そいう言った意味でも、訪問させて頂いた学校からの人材を会社の方は受け入れる体制を整えなければと思うんですよね。
寄付という点もありますが、会社側としては社会的責任を果たさなければと思います。

 

企業側もまだまだ態勢が整っていないところも多いですよね。

 

これは負け惜しみですが…(笑)
やはり大企業となると、福利厚生や設備が整っているところもあるので、中小企業にとっては、障がいをお持ちの方に選ばれるには、比べる土俵がだいぶ違いますので、研修に来てもらっても、選んで頂けない現実はあります。
現在は、弊社に障がいをお持ちの方は在籍していないのですが、先ほどお話の中にありましたように、縫製などをしておりますので、耳が聞こえない方・聞こえにくい方でしたら活躍していただけるのではないか。とは感じてはおります。

 

雇用に来ていただいた方には、何か特別扱いすることなく、他の社員と同じく普段通り接して行けばいいのではないかと私は思っております。業務も縫製となりますので、成果も目に見えやすいですし。と私は勝手に思っているんですけれども。

 

Q.社員の皆様はこの活動をご存じなのでしょうか?

 

社員には私からずっと発信しております。社員が頑張って成果を出した売り上げの一部が、社会貢献に繋がっているという意識になれば、ありがたいですね。

何が問題なのか。どういうものを望んでいるのか。 実際に見ないと、問題点や効果は得られない。

Q.面さん自身、考え方に変化はありましたか?

 

寄付については前からしたいと思っていたんです。相手が本当に欲しいものをあげないといけないですし。それを知るためには、現場を見ることかな。と。
これは、仕事でも同じですよね。

 

そうですね。

 

何が問題なのか。どういうものを望んでいるのか。
最初は、お金の方がいいかなとも思ったのですが。
公立学校は金銭は受け取れない。という話がありましたので、ではカタチとしてということになったのですが、カタチにするとなるとやっぱり見に行かないと分からないのでね。
実際に見ないと、問題点や効果は得られないですよね。

 

何かしたいなと思っても、実際に行動に移せる。という方は中々いらっしゃらない様に
私は思うんですよね。

 

私が立場上起こしやすいという所にいるというのもあるかもしれませんが(笑)
というよりも、やはり、きっかけとなったティッシュペーパーを配っていた方の雰囲気というのが、自分にとっては非常に心に刺さりまして…。

 

お話を伺う中で、なんといいますか…。
面様は、感が良いと言いますか、感情移入しやすいタイプでいらっしゃいますかね?
ティッシュペーパーのお話を伺いました時、ちょっと熱くこみ上げるものがございましたが…。

 

いやぁ…。そうですねぇ…。お恥ずかしい(笑)

 

いえいえいえ。素敵なことだと思います。
このように感じられる方だからこそ、行動を起こせる原動力というものがあるのだと思います。

 

障がいをお持ちの方たちと接する機会が日本は少ないとは思いますね。
最近ですと、障がいを持っている方が普通の学校に行って健常者の方たちと授業を受けることもありますよね。これは、両者にとっていい影響与えると思うんですよね。

 

「普通の学校に通わせたい」と思う親御さんや、お子さんの「行きたい。」という想いに対して公立学校側は断ってはいけないと思うし、責任をもって取り組むべきだと思うんです。
当然、学校側はいろんな面で負担になるとは思うのですが、
受け入れるのを拒んではダメだと私は思います。

 

受入れた後に発生する色んな考えや思いは、ものすごくプラスになると思います。当事者の子はもちろんのこと、親にとっても社会から受け入れてもらえたという安心感もあるでしょうし、一緒に生活していく中で「こういうことに苦労しているのか、こういう工夫をしているのか」というのが分かるわけですよね。

 

そのような環境が、小さい時からあれば「思いやり」というのが広がるのかなと思います。
私も、この活動をするまでは知らずに来たわけですけども。どういう風に接したらいいのか、どういう風に声を掛けたらいいのか分からなかったですし。
だからと言って、すべてができるわけではないですが、そういう機会があれば両者にいい影響を与えるんじゃないかと思うんですけどね。

 

選択肢を奪わないであげてほしい。ということですかね?

 

そうですね。そう思いますね。
障がいをお持ちの方が「こうしたい。」ということは、健常者と同じように、当たり前の権利ですから、
受入れ側が拒否することはまずありえないですよね。特に公立学校では。

 

障害者差別解消法が施行されたこともあり、
当事者側から求められたら「何かしなければならない」という、空気感ができたところはありますよね。

 

ですね。でも、本音の部分が「いや…そうは言っても大変だし」と思ってしまう所はあると思うんですよね。そういう所は変えていかなきゃいけないと思いますね。
困ったときは社会が助ける。これが普通なんですけれどね。

 

私にすれば、錦城護謨さんが、盲学校さんが「これが欲しい!」とリクエストしてくる商品をちゃんと開発されているのはすごいと思います。開発された方はすごいと思いますね。
イベント時にも簡単に設置出来たりしますから、式典とかにも対応できます!というのはいいですね。
社会貢献に非常に大きい部分を担っていると思います。

小さい時から色んな考え方をもつということは大事かと思います

Q.現状のバリアフリーについてどのように感じていますか?

 

バリアフリーに関しては、小さい時から、「障がい」と呼ばれるものではなくても、色んな考え方をもつということは大事かと思います。大きい言葉で言えば「多様性を受入れる。」という所でしょうか。
障がいを持っていたり、人種が違ったり、考え方が違ったり、多様なものを受入れて、更に、「どうしてそういう考えになったのか。」などの背景や環境を考えられるようになれば、理解できる範囲は広くなるのかなと思います。
私は、仕事でアメリカに20年くらいいたのですが、「なんでアメリカって銃社会なんだろう?危ないし、無くしていしまえばいいのに。」と思っていたのですね。

 

日本に住んでいたら、確かにそう思いますね。

 

ですよね。なので、仕事場で現地の人に聞いてみたんですよ。
すると、「そんな。銃を持たないで、どうやって家族を守るんだい?」と言われまして。
「住んでいるところが、犯罪も多くて、強盗も入ってくるかもしれないのに、銃が無きゃ守れないよ。」と。
当然、日本で暮らしている私からすれば、そのような環境ってわからないんですよね。
しかも、現地でも、会社の補助があったりして、住むところが安全な場所だったりするので、余計に。
でも、現地に行ってみたからこそ「こういう背景があるから、このような行動をしている。」ということが理解できるわけです。

 

障がいをお持ちの方に関しましては、まわりに実際にいらっしゃれば、お聞きすることもできますが、
いらっしゃらない場合は、その人の立場になって考えてみるとかですかね。
私ものこの歳になって考えるようになったものですから、若い時には一切考えることは無かったですけども。

 

「機会」は大事ですし、そのタイミングを逃がしてはいけないですね。
先ほど、お言葉の中にありましたが、「相手の立場になって考えてみる」というのは、
私も非常に大切にしている部分ではあるのですが。
例えば、目をつむるだけでも、視覚障がいの疑似体験ができるかと思うんですよね。
「こういう状態でずっと生活しているのか」
「自分だったら、こういうことしてもらえたら安心するなぁ。助かるなぁ。」と
感じることは出来るのではないかと思います。
もちろん、それだけのことで分かった気になってはいけませんが。

 

そうですね。目の見えない方、耳の聞こえない方は、からたの機能の一部の障がいとなりますが、
心の中にある思いとかも、障がいと言えるのではないかと私は思うんです。
「心の中の障がい」ですかね。
健常者でも、振り返れば、「心の障がい」があったりするのかなと思うのです。

 

といいますと?

 

一概には言えませんが、例えば犯罪を犯してしまった人を調べると、極端に貧しかったりとか、親に愛されなかった、いじめられていた。など育ってきた環境が影響していることもありますよね。
そういう「心の部分」に周りが寄り添うといいますかね。ということは、やはりコミュニケーションが必要かなと。
でも、寄り添う側が特別な思いでやると、今度はその人が大変になってしまうので、気が付いた時にやったらいいかなと。

 

わざとらしくではなく、ごく自然にというところですよね。

 

そうです。難しいのですが、向こうからの発信があったら、
無理のない程度に応えてあげればいいと思います。
変に「やらなきゃ!」って思うと後々しんどくなってしまうと思うので。

困った人がいたら助けるという気持ちを、もっと全体的に持ってほしいですね

Q.今後はどのような事をしていきたいですか?

 

出来る範囲で寄付をしていければと思います。

 

アメリカは宗教の関係もあるかと思うのですが、あちらは、やはり寄付が多いんですよね。
例えば、クリスマスにプレゼントがもらえない環境にある人に寄付をしたり、社員の子供が重病だと社員が協力して何かをしようとしたり。これらは当然、強制ではありませんし。

 

私が一番感動したのは、金銭的に厳しいと話していた人が、寄付していた時ですかね。
話を聞くと「自分も苦しい時に寄付してもらったこともあるし、自分も大変な人を助けたい」と話してくれましてね。助け合うといいますか、思いやりの部分が底辺にありますよね。
日本人はどちらかというと「自分のことは自分で解決してよ」という感じがありますよね。

 

ですね。ありますね。

 

どちらがいいかというのは無いんですけどね。
自分で解決する努力が必要な時ももちろんありますから。
「なにくそ!」となって大成することもありますからね。
でも、困った人がいたら助けるという気持ちを、もっと全体的に持ってほしいですね。

 

先の話でありました「コミュニケーション」というのは「声掛け」という所ですが、社会からかなり離れて生活してしまうと、考え方が歪んでしまうのかなと思います。
例えば、インターネットの中にのめりこんで、孤独な世界に入ってしまうと、それが突然、とんでもない事件が生まれることもありますし。
社会からの孤立という点は大きく関係しているのではないかと思います。

 

早い段階から輪に入れていけば、こういう事件も少なくなるかもとは思うのですが、では、そういう人たちに、どういう風に声を掛けていくのか。というのはまた違う所ですけどね。
私も、海外で困ったときにたくさん助けてもらったことがありますし。

 

日本にはまだ気軽に声を掛けるとか、コミュニケーションをとるとかそういうのがないですよね。

 

無いですね。
アメリカに行ったら、バスで横になっただけで話しかけてきますからね(笑)
日本でそんなことしたら「変な人」になってしまいますよね。

 

ですね。下手したら通報されるやつですね(苦笑)

 

まぁ、このような声掛けをする必要はないんでしょうけど(笑)、
困った状況を見たら、「俺(私)の出番かな」と思ったらいいんじゃないかな。と思います。

 

あああ!いいですね!その感覚いいですね!

 

いいですか(笑)それも、無理しない程度でいいと思います。
自分ができる範囲で助けて、対応できないところは、また次へ対応できる人に繋いだらいいと思います。

 

オリンピック・パラリンピックも近づいてきましたし、
バリアフリーについて考える機会になればと思いますね。
昔は、パラリンピックでは出場を控えるようにという空気感がありましたが、今ではパラ選手も堂々と出場できる社会になってきましたし、それがごくごく普通のことですし、健常者側も受け入れることができる機会だと思います。

 

多様性を受入れられる社会になってほしいですね。

 

取材日:2018.11.20

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photo-no-img 笑顔をプレゼントできる体育館を目指して 奥州市総合体育館館長 髙橋 淳様
建設当初、体育館の1フロアの大きさは東北で一番

Q.体育館と使用状況について教えてください。

 

平成10年4月にオープンし、当時合併前で水沢市として、平成11年のインター杯のために建設した体育館です。平成9年、10年あたりが岩手県内で体育館の建設ラッシュでした。一関市と、現在で言うと奥州市、北上市、花巻市、宮古市に大きな体育館が作られました。建設当初では、本体育館の1フロアの大きさは東北で一番でした。
インターハイ後も、2016年の岩手国体・いわて大会(障害者スポーツ大会)。その他にも全国中学校体育大会、プロリーグでしたり。今でしたらbリーグ(正式名称:ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ)とか、バレーボールであればVプレミアリーグとか、日本の大きな大会なども開催し、もちろんこの地区の小・中・高・一般の方にも多く使われている施設です。

 

地元の方にも広く使われている施設なんですね。

 

そうですね。あまり、大きい大会ばかりだと敷居が高いように思われるので。そうでは無くて、広く一般的に使っていただいている体育館ですね。

 

アクセスも決していいというわけでは無いのですが、地方は車社会ですので、比較的駅からも近いですし、ご利用いただきやすいかと思います。

バリアフリー云々と騒がれてきている時代に建てられてはいたのですが、どうしても健常者向けの施設なんですよね。

Q.高橋館長はいつからこちらの体育館に?

 

最初から居ます。平成10年4月1日がオープンだったのですが、その準備の段階からでしたので、平成9年12月20日くらいから居ます。20年くらい経ちますかね。

 

20年!すごいですね。まさに共に歩んできた体育館と言いますか。その中で、施設や活動が変わっていってるなぁ。と感じたことはありますか?

 

最初の数年はもう訳が分からない中でやっておりましたので。
それこそ、極端な話、どこに何があるのか分からない。という感じでしたね。
そして、何年かするごとに、やはり老朽化というものは避けられないものでして、利用者の方もいつも同じ方とは限りませんし、「ココいいよね!」という方もいらっしゃれば、「ココこういう風にした方がいいよね」というなお声もあるわけですよね。

 

そこで、御社の歩導くんを何故導入したのか。という所に繋がってくるのですが、お客さんが施設の中のどこに何があるのか分からないということがありまして。「サブアリーナってどこですか?」「二階の観客席に上がる階段はどこですか?」と言った感じですね。本施設には、トレーニングルームもあるのですが、初めて来たお客様には分からないんですよね。
色々と表示はしているのですが、働き慣れた私たちからすれば「ここに表示が貼ってあるんだけどな」とは思うのですが、気付かないんですよね。入ってこられる際に、足元を見ている方が多いので、「廊下にペイントで書こうか。」という案も出たのですが、すぐに剥がれてしまうだろうと。と相談しているところに、御社が飛び込みでいらしたんですよね(笑)

 

なんというタイミング!(笑)

 

製品の説明を受けて、「これ、いいね」となりました。
この歩導くんを考えられたのは目の不自由な方ということで、ニーズとしては視覚障がい者向けだとは思うんですけれど。誘導マットに色がついていたり、文字が記載できることも良かったですし、後付で点字ブロック(誘導ブロック)の代わりになるというのも良かったです。私たちも、荷物などの運搬の際にガタガタせずに済みますし、車輪が壊れてしまうこともないですし、ありがたいですね。

 

本施設は、入口から入って事務室の前までしか点字ブロックが設置されておらず、当時、予算があれば奥まで設置したかったんですけれども、叶わずでして、まずは必要最低限ということで、事務室までの設置となっておりました。バリアフリー云々と騒がれてきている時代に建てられてはいたのですが、どうしても健常者向けの施設なんですよね。
最初から福祉関係をターゲットにした体育施設、もしくは公共施設であれば、もっとバリアフリーに特化していたと思いますが、20年も前だと、今のカタチが限界だったんですね。あくまでも健常者向けに造られて、ちょっと足したバリアフリーでしかなかったんです。
ですので、後付で設置できる歩導くんは良かったですね。床面を削らなくてもいいのも良かったです。岩手国体もあり、ここも障害者スポーツの大会会場でしたので、非常にいいタイミングで設置させていただきましたね。

障がいの種類・度合によっては、バリアフリーのはずが、誰かのバリアになる要素になるかもしれないんだな。と感じることもありました。

Q.現状のバリフリーについてどのように感じていますか?

 

前は全然気にもしなかったですね。

 

今は、色んな方と接する機会に恵まれていますので、何か障害をお持ちの方たちの声を聞く度に「確かになぁ…。」と思うことが増えました。

 

特に急な角度のスロープを見ると「これは…。」と思いますね。
私が住んでいる町内に集会場があるんですが、一応スロープはあるんです。でもこれが、若干、急こう配でして。これは車いすじゃなくても、足の不自由な高齢者の方も厳しいのではないかな。と思います。でも、緩やかなスロープを付けようにも、立地条件上どうしてもこのスロープしか無理だったんだろうぁ…。というのは思いました。

 

色んな方のお話を聞く中で、障がいの種類・度合によっては、バリアフリーのはずが、誰かのバリアになる要素になるかもしれないんだな。と感じることもありました。
先のスロープの件でもそうですが、登り切った先や降りきった先に点字(警告)ブロックがあると、車いすの方にはガタガタして辛いだろうなぁ。とも思いますが、点字ブロックは視覚障がいの方には必要不可欠なものではあるし…。

 

歯痒いですよね。

 

「すべての人に満足してもらう」これは理想ですよね。
「すべての人が譲り合う・理解し合う」という気持ちを持たないと、先の理想の実現は難しいのかもしれませんね。自分たちだけのことを考えてしまうと、まとまりがつかなくなってしまうので。

色んな方が目的に合ったスペースを選択できればいいですよね。

Q.岩手国体以降、障がい者スポーツなどの大会は本体育館で開催されているのですか?

 

ないですね。というのも、例えば、車いすの方の卓球となりますと、その競技用の卓球台が無くて、対応できないという点もあります。岩手大会の時のように、全て持ち込みであれば対応はできるのですが、そうなると大荷物となり持ち込む側も大変ですしね。であれば、最初から設備が揃っていて、選手の方も普段から利用されている会場で開催される方が、運営側も選手側も使い勝手がいいというのもあるかもしれませんね。色んな方が目的に合ったスペースを選択できればいいですよね。

 

例えば武道館は柔道や剣道が専用で使いますが、兼用でバスケットもできるような造りになっています。一般の体育館としても利用できる。空いているスペースを有効活用ができる。
武道だけではなく、オールマイティな施設なんですよね。体の不自由な方でもご利用いただけるように設備を整えたい気持ちはあるのですが、なかなか難しいですね…。

ふとした瞬間に「あっ。今日、体育館に行こう。」と
思ってもらえるように、皆さんの身近な存在になって欲しいです。

Q.今後はどのような施設運営を目指していきたいですか?

 

本施設は、奥州市の財産であり市民の財産でもあると思っています。
20年前のころと同じように体育館を維持していければとは思うんですけれども。老朽化には勝てないところはありますね(苦笑)

 

ですが、1年でも2年でも長くいい状況を維持しながら、一人でも二人でも多くの方に健康づくりのためなどに活用していただければと思います。
小中高生については、特に小学生ですかね。色んなスポーツを経験してもらって、将来的に奥州市から大谷翔平選手に続くような日本でもトップクラスの選手になってくれればと思いますね。そのきっかけの一つにしてもらえたら嬉しいですね。大きい体育館を見て、「でっかいなー!!ここでもっと試合したいな!」というような気持ちにさせるような体育館にしていきたいです。

 

トレーニングルームもありまして、1日60人強の方にご利用いただいていますが、もっと皆さんに気軽に遊びに来てほしいですね。
ストイックな方ももちろんいらっしゃいますが、堅苦しく捉えず、遊び感覚で来て頂ければと思います。普段、ぼーっとテレビを見ている一時間を体育館に来て汗を流してもらって、気持ちよくなってもらえればと思います。
トレーニングルームだけでなく、体育館など貸し切りの予約が入っていなければ、個人利用(一人300円で制限なし)もありますので、近所の方を誘って「卓球しに行こうよ」という遊び感覚で来てほしいです。

 

ふとした瞬間に「あっ。今日、体育館に行こう。」と思ってもらえるように、皆さんの身近な存在になって欲しいです。気軽に体を動かせられる場としてご利用いただき、医者いらずの町になればと思います。笑顔で居てほしいですね!
健康でなければ笑顔で居られないので、笑顔をプレゼントできる場所にしていきたいと思います。

 

取材日:2018年7月27日

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代表 白倉 栄一 様 車いす目線から見る真のバリアフリーとは バリアフリースタイル代表 白倉 栄一 様
「バリアフリーの仕事は自分だからこそできるよな」と考えるように

Q.現在の活動に至るまでの経緯について教えてください。

 

24歳の時に交通事故に遭い脊髄損傷となりました。車いす生活になって初めて、ホテルのバリアフリールームを予約したときの出来事が起業に至るきっかけとなったんです。

 

実際に行ってみると、ただ単に広いだけの部屋で、トイレには段差があり、ドアの幅も狭かったんです。これではバリアフリールームと呼べるようなものではなかったです。仕方がなかったので、その旨をホテルのフロントへ伝えたところ、「我慢してください」と言われたんです。そのときは「えっ!」と驚きましたが、今のようにバリアフリールームが多く設置されている時代ではなかったので、他のホテルを探すこともできなかったと思います。ちょうど2000年前後ぐらいの出来事だったような…。

 

この経験をしたことで、情報が正しいものでないと、私と同じ立場である車いすユーザーは、間違いなく戸惑うだろうし、安心して外出できなくなってしまうだろうなと痛感しました。

 

それがきっかけで、仕事の休日には、いろいろなスポットに外出して、バリアフリーの情報を自ら探すことにしました。そして集めた情報を自分のブログで紹介したらどうかな?と考えるようになったのが、ちょうど2005年頃でした。しかもたまたまこの時期にブログというものが流行りだし始めていたので、気軽な気持ちでブログを始めてみました。

 

Q.どのようなことを掲載されていたのですか?

 

大したことではないんですけどね。写真を撮って、住所を掲載して、「ここにはトイレがありますよ。身障者用の駐車スペースがありますよ。」ということを発信していた程度です。加えて、近くに面白いスポットがありますよ。などの情報も加えて、ほぼ毎日、投稿していました。でも、はじめのうちは、私のブログを見てくれる人はいなかったですね。それでも、徐々に閲覧者が増えていき、「あなたがアップしてくれたから助かりました」という喜びの声を頂くようになったんです。

 

その後、2010年頃から「バリアフリーで何かお仕事ができないかな…?」と思うようになりました。ただ当時はイオンで、仕事をやりながら、労働組合の活動もしていたため、忙しさのあまり、本格的に起業を考えることはできませんでしたね。

 

さらにその後も「人のために何かできないかな」という思いが日々強くなっていたのですが、店舗の人事総務課長に就任したこともあり、より忙しくなってしまいました。そのため起業に向けて行動をする余裕は、全くなくなってしまいました。

 

仕事はかなり充実していて、手前味噌になりますが、2013年下期にてイオン全449店舗を対象にした顧客満足度で全国1位の店舗として表彰をうけることになりました。これは長い間、自分が関わってきた従業員のQC活動によるチームビルディングが、お客さまへの接客・応対に影響したことだと思っています。まさに「ES(従業員満足)なくしてCS(お客さま満足)なし」で成し遂げたことだと思っています。このときばかりは、従業員のみんなと喜び合ったのを覚えています。

 

しかし私の所属していた店舗は、つくばエクスプレスの誕生によって、街が大きく変わり、大型ショッピングモールが次々と建設される地域でして、競合店との兼ね合いもあり、2015年9月をもって残念ながらお店が閉店してしまったんです。閉店後は別のイオンの店舗に異動したのですが、このときに少し気持ち的に余裕が出てきました。そこではじめて、本格的に起業を考えることになったんです。

 

当時42~43歳くらいでしたが、会社が嫌だったとかではなく、「今の自分の仕事は他の人でもできるだろうな。でも、バリアフリーの仕事は自分だからこそできるよな。」と考えるようになり、「これからの人生は、自分のやりたいことを正直な気持ちでやってみよう!」と思ったことで、起業の学校に通い始めることになりました。

たくさんの志に出会い、勇気とワクワクをもらい、準備期間を経て誕生日に起業

Q.起業にあたってどのようなことをされましたか?

 

まずは起業の学校でもある「天職塾」に入会したことです。経緯はたまたまAmazonのサイトで「起業」と検索したところ、三宅哲之さんの著書『好きなことで起業できる』が出てきて、試しに購入してみました。読み終わった時に、著者である三宅さんに相談したいと思い、電話したのがきっかけで、天職塾へのお誘いを頂いたんです。

 

天職塾の会合に参加したら、ものすごい刺激を受けました。中には大手企業の高い役職にいらっしゃる方もいて、私が「今ある環境を捨ててまで、何で起業したいのですか?」と質問すると、「やりたいことがあるから会社を辞めてでも起業したい!」という声が返ってきました。その場に参加している方々は、みんな目が輝いていて、私の気持ちがワクワクしてきたことを覚えています。

 

もう一つは、セミナーやコンサルで有名な和田裕美さんのラジオ「WADA CAFE」に投稿したら、起業で悩んでいることを取り上げてもらえたことも大きかったです。和田先生から頂いたアドバイスは、「あなたはバリアフリースポットの情報を伝えることがビジネスであると思っているけれど、それはほんの1%に過ぎない。あなたの経験に基づいて進めば、もっともっと人の役に立てることがあるはず。だからいろんなことを考えてみて、付加価値のあるビジネスを作ってみて下さい。」とおっしゃってくださいました。心からうれしかったですし、勇気が湧きました。

 

その後、迷うことなく、思い切って会社を辞めて、起業することを決意しました。そして退職時に残っていた有給を使って、まだ行ったことのない全国各地のバリアフリースポットを調べるために日本一周をすることになったんです。そして翌年の自分の誕生日に起業しようと決意し、8カ月ほど起業準備をしました。その後、無事誕生日に起業しました。

 

幸せなことに最初の仕事が前職でお世話になったイオンでの講演会でした。とても嬉しかったですね。

多くの企業の皆さまにバリアフリーの魅力を感じていただく
きっかけづくりになりたい

Q.今、一番やりたいことは何でしょうか?

 

店舗のバリアフリーのサポートをやりたいです。特に飲食店ですね。
実際に携わった案件ですと、元々バリアフリー化された飲食店の例があります。
多目的トイレの手すりや便器などが車いすを利用している筋ジストロフィーのお客さまにとって、使いづらいものだったので、ちょっと見に来てほしいとお願いされました。

 

実際に私もトイレを利用してみたのですが、スペースが狭いのと、便器の位置などに課題がありました。そこで私のアドバイスで、トイレをタンクレスにしたり、便座の向きを180度変えたり、両側に手すりを取り付けたりして、大がかりな改修工事をしました。

 

この案件がとてもいい経験になりました。オーナーもその後、筋ジストロフィーの方から喜ばれたとおっしゃっていたので、私自身、とてもうれしかったです。その経験をもとに、イオン時代の経験も活かして、接客・応対も含めたバリアフリーをしていくことが、集客につながるバリアフリーになると考えるようになりました。

 

日本一周をしたときに感じたことなのですが、設備はしっかりしているけれど、「従業員の対応ができていないからまた利用したくない」というお店がいくつもあったんですよね。イオンで働いていた時の経験を活かして、それをなんとかしたいと思いました。
そこで、顧客満足度1位に輝いたときに行っていた、従業員に向けたチームビルディングを研修で使えないかと考えています。

 

この「従業員のチームビルディング」を通して、お客さまへのサービスレベルを維持・向上できるとともに、車いす利用のお客さまへのアプローチなどを習得すれば、店舗が大きく変わり、集客にもつながり、売上もアップでき、人に優しい店舗にもなるにちがいないと思っています。それを「真のバリアフリー」と名付けて活動しています。その他にもセミナーやライターなどの仕事もしていますが、これらを通して、多くの企業の皆さまにバリアフリーの魅力を感じていただくきっかけづくりになればと思っています。

 

真摯に向き合うことが大事ですね。

 

そうですね。しかし、まだまだ開業して1年半ということもあり、今はとにかく人とのご縁や繋がりを大切にしていきたいと思っています。ありがたいことに講演会のお話なども頂いておりますが、私としては、自分が直接、店舗などのバリアフリー化のサポートをしたいという気持ちが強いです。一店舗でもそういう店舗が増えていくとバリアフリー化を見届けることができるので嬉しいです。

「情報の見える化」が一番のバリアフリー 

Q.今は飲食店に焦点をとのことですが、今後はどうしていきたいですか?

 

将来は、宿泊施設なども可能であれば、サポートしていきたいと思っています。

 

宿泊施設は、残念ながら利用者側の視点から考えると、バリアフリー化での課題がかなりあるように思っています。特に「情報の見える化」における課題があって、ほとんどの宿泊施設は、情報を開示されていないために、利用者にとっては本当にバリアフリーなのか不安を感じてしまい、行く前から不安が解消されないんです。しかも実際に行ってみると、「ここは自分が思っていたようなバリアフリーではない」ということもよくあります。私自身がそういった経験を何度もしてきましたから。

 

その点、利用者側の視点に対して、うまくいっている事例があるんです。ビジネスホテルチェーンの東横インさんです。10年くらい前には、世間からバリアフリーの件でいろいろと叩かれたものの、その後はバリアフリーの改善にいち早く取り組んで、今では車いす利用者からは絶賛の人気のあるホテルになっているんですよ。その大きなポイントは、ホームページによる「情報の見える化」です。部屋の写真があって、間取りがどうなっているかも確認できる。そして、貸し出しできるものをきちんと閲覧できるようになっているんです。しかも従業員の皆さまのバリアフリー対応もとてもいいので、車いす利用者は安心して利用することができるんです。私もすでに何十回も利用していて、毎回満足しています。

 

このような「情報の見える化」によって大きく変わるのです。なぜなら車椅子に乗っているといっても、立位や歩行ができる人もいればそうではない人もいるわけで、一概にバリアフリーだからという表記だけでは、判断がつかないんです。言い方を変えれば、自分の障がいは自分が一番知っているわけであり、自分がこのホテルなら泊まれるという判断ができることが重要なポイントなんです。そのため、判断できる材料を揃えておけば、お客さまとのトラブルには軽減されると思うんです。

 

またテレビ番組でコメンテーターの中谷彰宏さんが「バリアフリーの対応は設備ではなく慣れである。完璧を求めようとするから難しい」とおっしゃっていました。課題は企業側にも車いす利用者側にもあって、質問の仕方や回答の仕方で大きく変わる点です。例えば、質問する側も「バリアフリー対応ですか?」と聞くから、受け手である企業側が身構えてしまうんです。そこで「朝のビュッフェはどうですか?入り口の段差は何段ありますか?」と具体的に質問を投げることによって、「1段です」と返ってきたら、「それをお手伝い頂けますか?」と具体的な会話をすることによってうまくいくんです。逆に企業側からすれば、「どういった点をご要望ですか」と聞けば、具体的な要望が返ってくるわけです。

 

どうしても慣れないとお互いについつい完璧を求めてしまうんですよね。でも実際に完璧なんて作れないですからね。世の中の全員がその施設を利用することはできないかもしれないけれど、今まで利用できないと思っていた人が何人かだけでも利用できるように変わっていくことができれば、大きな前進になると感じています。そういった仕事を車椅子目線を通して、関わっていきたいと思っています。

 

そうですね。弊社の「歩導くん ガイドウェイ」もそうですが。
正直、視覚障がいの方があの誘導マットで分かるのか?と言われますと、点字ブロックと比べられた場合は凹凸もないですし、分かりづらいところもあると思います。しかし、視覚障がいの方が「でも、分からないわけでは無いので、この誘導マットを導入することによって車いすの方や他の方と一緒に居られる空間ができるのであれば、それも一つの選択かな」とお話を頂いたことがあります。

 

そうです。そうです。そういうことですよね。僕もその考えしかないです。
選択肢が広がればいいし。見方や見せ方を少し工夫することで、変わっていく事もありますし。「当事者に判断してもらうこと」がとても大事なポイントだと思います。

 

当事者と企業の間に僕が入ることによって、企業の想いを汲んだカタチで解決をしていきたいですね。多くの企業の方々に動いていただくことで、世の中は進展していくと思っています。

 

企業の皆さまがバリアフリー化をしていくことで、(企業の)売上が上がったとか、お客さんが増えたとかにつながり、最終的に車椅子利用者が行ける選択肢が増えることにつながるというwin・winの関係を作りたいと思います。

テレビなどで車椅子利用者が、何気なく食べ歩き番組に出ていても おかしくない社会を創りたいですよね。

Q.少し踏み入った話をしますが、「障がい者」として感じることはありますか?

 

今はやはり「特別な存在」だとか「車いすの方は頑張っている」とか「辛い思いをしている」というイメージが強いんですよね。テレビ番組の影響などで。そうではなくて「普通の人なんです」と。

 

さっきここへ来るときにも感じたのですが、ティッシュ配りの人に会っても、車椅子利用の私にティッシュを渡そうという人はほとんどいないんですよ。あえて渡そうとする手を引っ込めちゃうんです。私の想像ですが、「きっと車いすを操作してるから貰いにくいだろうな」とか「この人に渡しても意味がないだろうなぁ」とごくごく自然にそういう風に考えているところがあると思うですよね。だから、「渡してもいいのかな…?」って思っちゃうんですよね。それが今の日本の社会のように思えます。

 

だからこそ私には想いがあるのですが、テレビなどで車椅子利用者が、何気なく食べ歩き番組に出ていてもおかしくない社会を創りたいですよね。そうなることで、これから増えていく高齢者であったり、障がい者になって引きこもっている方々にも、気軽に外出することができて、人目をあまり気にしなくてもいいような人に優しい環境になってほしいと願っています。私自身、昨年は「NHKのど自慢」に出場しましたが、スタッフの方々は、特別扱いすることなく普通に接してくれました。こういう環境がうれしいんです。ぜひともそういった環境を作りたいですね。

 

オリパラの効果もあってか、最近はよく障がいをお持ちの方が取り上げられることが多くなりましたね。

 

そうですね。僕のたちの中では、乙武さんの登場によって、車いすの方への見方が一気に変わりました。話によると、小学校などでの車いすの受け入れがしやすくなったとか、旅とかも含めて社会が変わりました。

 

そして、漫才師の濱田祐太郎さんの活躍もあって、障がい者のハードルが下がったように思います。R-1グランプリが終わった後、色んな意見がありました。中にはネガティブなものもありましたね。「こんな視覚障がい者ネタは不謹慎だとか」とか、「他の視覚障がい者に対して失礼じゃないか?」とかあったわけですが…。でも、別に濱田さんは他の人を批判したわけでもなく、「自分の視覚障がい者あるある」を言っただけなのに、なぜかネガティブに捉えてしまう人が多いことに、日本が共生社会に対してかなり遅れていることが分かってきました。

 

私もリアルタイムで見てまして。ツイッターとかでも皆さんの反応を見ていたんですね。
基本は皆さん「漫談として面白い!」と仰ってましたが、やはり中には「こんな風に笑いを取って良いのか?」とかありました。でも、私も色んなご縁の中で、視覚障がいの方にお会いしたから分かることかもしれませんが、恐らく視覚障がいの方がこの番組を視聴されていたら、「あるある!わかる!」と声をあげて笑っていると思うんですよね。

 

僕もそう思います!

 

私たちも、自虐ネタをする芸人を見て「あるある!わかる!」って話をしているのに、「障がい者」というだけで、フィルターが掛かってしまうところがあるのかもしれませんね。
確かに、障がいをもって不便だなと思うことはあるかもしれないですけど、それ以外は仕事に悩んだり、恋に悩んだり、スポーツを楽しんだりと何一つ私たちと変わらないですよね。
「わたしたち」というのも区切っているみたいで表現に困るのですが、ボーダレスといいますか…。

 

そうです。そうです。変わらないんですよね。
僕、濱田さんにお会いしてみたいです!

 

私もお会いしてみたいです!

車いすの方だけでなく、色んな方と気軽に接することができるようにしたいです。まさに共生社会の実現ですね。

Q.バリアフリーについてどのように感じていますか?

 

残念ながら、世の中の関心はまだまだ高まっていないですよね。

 

でも、興味が無いわけでは無いと思うんですよ。行動に移せないだけで。ただ、行動に移せないけれど、少しでも関心を持っている人たちに、何かきっかけを作ってあげるような人になりたいですね。

 

実際に車いすのお客さまが1人いたとして、その方のご家族であったり、友人であったり、同僚であったりを連れてくるわけですから、5人にも10人にも人が増えますし、そのお店だから行きたくなるような場所に変わるんですよね。まさにバリアフリーはビジネスにも十分影響のあるものなんです。

 

たくさんお話させて頂きましたが、車いすの方だけでなく、色んな方と気軽に接することができるようにしたいです。まさに共生社会の実現ですね。そのために、少しずつではありますが、私にできることを進めていきたいと思っています。2020年の夏には、オリンピックもパラリンピックもありますし、超高齢化社会も待っていますし、何かお役にたてることがあれば、どんどんサポートしていきたいと思っています。

 

【プロフィール】
白倉栄一、1972年千葉県生まれ。1995年イオンリテール㈱入社。
車椅子でも利用できる環境を増やすために、小売店・飲食店・宿泊施設等の商業施設へのアドバイスならびに従業員教育・研修を展開。
24歳のときにスクーターでもらい事故に遭い、医師から一生車椅子生活の宣告を受ける。
必死のリハビリ生活を経て職場復帰し、38歳のときに、会社始まって以来の「車椅子の人事総務課長」として就任し活躍。従業員の働きやすい職場環境へと改善し、お客さまへのサービスレベルを大幅に向上。顧客満足度で全国1位の店舗として表彰される。
仕事の傍ら、全国47都道府県にある1000件以上のバリアフリースポットを調査し、車椅子利用者向けの情報ブログを発信。ブログでの発信を重ねているうちに、車椅子を利用されている方の笑顔をもっと増やしたいという想いが強くなり、同社を退職し「バリアフリースタイル」を設立。「健常者の目」「車椅子ユーザーの目」そして「企業のお客さま対応責任者の目」という3つの目線を持ってバリアフリー活動を展開中。

 

バリアフリースタイルHP:http://baria-free.jp/

 

取材日:2018年6月1日

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松下 昭司 様 今ある歩行環境を安心して歩くために 日本ライトハウス 視覚障害リハビリテーションセンター 養成部指導員・指導者養成課程教官 松下 昭司 様
「使いにくいな」という議論ではなくて
「どういう意図で実行したのか」という議論をしている

Q.歩行訓練について教えてください

 

歩行訓練士になるためには「視覚障害生活訓練等指導者養成課程」という2年間の課程を受けます。
何をするかというと、実際にアイマスクをして、どのように視覚障がい者が歩行技術を習得していくか。ということをまずは勉強します。その後、実際に(視覚障がい者に)教えるという、模擬授業のようなことをしています。アイマスクをして電車に乗ったりもします。
この養成課程は、4月から10月までは歩行訓練に特化した授業ですけれども、10月からはそれ以外の訓練をします。例えば、パソコンとか点字訓練とか、あとは日常生活訓練(歩行・コミュニケーション・スポーツ以外の事)は、お茶を淹れるとか、料理をするとか、洗濯物を畳んだりすることですね。私はパソコンと調理と墨字の訓練の担当もしています。
歩行訓練士の中には、歩行訓練だけでなく、生活訓練全般を受け持っている訓練士も多くいます。

 

Q.松下さんは何を担当されているのですか?

 

私は歩行実技と講義では歩行環境や地図を担当しています。
講義の中で、視覚障害者誘導用ブロック(以下点字ブロック)の敷き方とか音響信号とかを、基礎的な知識を講義した後、実際の点字ブロックの写真を持ち寄り、なぜこんな敷き方をしているのかを議論したりする講義があります。ですので、街中の点字ブロックの敷き方が気になったりします。

 

点字ブロックの敷き方一つにしても、色んな敷き方をされているんですよね。
「使いにくいな」という議論で終わるのではなくて「どういう意図でこのように敷設したのか」、「だからこういう風になっているんだね」という議論をしているのです。

 

視覚障害者の中でも、様々な特性があり、ある人に使いやすい歩行環境でも、ある人には使えないものもあるんです。
でも、「折角ある歩行環境なら、それを有効に使うためには歩行訓練でどのように活かしていったらいいかな。」という事を伝えるようにはしています。
例えば、「触地図」なんですけど、あれって触っている人をあまり見かけることがないと思うんですよね。なぜかというと、あれは触り方を知らないと理解しにくいということと、説明を受けながら触地図に触った方がわかりやすいとかあるのですけどね。
大体議論されるのは、あんなところに置いていても、全然誰も使わないよね。っていう事になるんです。
では、この触地図を歩行訓練で使うとどういう意味があるのかとか、これを使って歩行訓練できるかな?というように議論しながら授業をするように心掛けています。

 

ある受講生が、「調査している中でとある触地図を触ってみると埃だらけだったので拭いてきました。触るものなのに埃だらけで、いつだれが触ってもいいように拭いてきました」と。そういう目を指導者には向けてほしいなと思いますね。

2つ目の人生が始まった。
私は見える人生と見えない人生の2つ生きているわ

Q.松下さん自身が歩行訓練士をされていたのは?

 

元々、学校で講師をしていました。30歳からこちらの世界へやって参りまして…。
入ってすぐに養成課程を受講し、養成課程を卒業後、養成の方の訓練を10年ほどやっていました。

 

当時の印象に残っているエピソードを教えてください

 

訓練をしてその方の人生が変わったという例がありますね。
入所されたときは、「視覚障害リハビリテーションセンター」という名前を聞いていらっしゃったんですね。普通「リハビリ」って言ったら、その機能を「治す」とこですよね。ですので、「見えるようにしてくれる施設や」って思い込んできた女性がいらっしゃいました。
なのに、来たらすぐに「視覚に頼らないで歩く方法」を教えたりするから、「えっ?私は見捨てられたの?」って思って、ずっと自殺を考えていらっしゃったようです。口には出しませんけどね。

 

この施設に入り、自分の教室が決まったら、その日中に教室から一人でトイレに行けるように歩き方の訓練が始まり、そのあと、館内全部を歩けるように、施設のことが分かるようにする。という練習があります。
その女性の方は「目が治らないんだったら、私は死ぬしかないわ。家族にも見捨てられて、こんなところに放り込まれて。」と、館内を案内しているときも、飛び降りる場所を探していたそうです。後から聞いた話ですけどね。

 

「せめてお風呂はひとりで行けるようになりましょうね」と促して、本人も「私は見えないから歩きたくないけど、お風呂に入れないのは…。」ということで、お風呂までは歩こうと思ってくださったんですね。
この不安定な時期の女性の担当をしていたのは、優しい女性の歩行訓練士でした。色々とお話を聞いており、お風呂にも行けるようになったんですが、その歩行訓練士が産休に入ってしまい、僕が担当になったんですね。担当させていただいたその女性の方は、男性が大っ嫌いでして。加えて、僕は坊主頭で怖いという噂があったようでして「嫌や!」と思っても怖くて言えなかったみたいですね(笑)

 

ですけど、これが功を奏したのか、どんどん歩けるようになったんですよね。そのうち、お話もできるようになりまして、「先生、私ね。ここから放出(はなてん)駅まで歩けても、私の人生には意味がないから、もうここで歩行はいいわ。できたらお家の周りを歩きたい。」という風に気持ちが変わりまして、週末、お家で訓練をするようにしたんです。とても大変な地域でして、山奥に家があるんですよ。駅までが歩いて30分くらいありますし。坂道もきつくてですね。「ちょっと難しいかな。」と思ったのですが、一か月くらいで歩けるようになったんです。彼女はそれで自信がついて、訓練期間はまだあったんですけど、「私はここで一生を終えるつもりはないから、お家で生活するから辞めます」って仰って辞めたんです。

 

そのあと、盲導犬を持つようになりまして、元気になられて、学校で盲導犬についての講話をされるようになり「2つ目の人生が始まった。私は見える人生と見えない人生の2つ生きているわ」と仰っていました。

訓練士としての立場を教えてくれた方がいらっしゃいました

Q.この仕事をしていて気付きなどありましたか?

 

糖尿病をお持ちの方がいらっしゃって。
病状も進行していて、透析もされていた方がいました。

 

暑い日に訓練をして、途中で休憩で喫茶店に入ったんですけれど、その方がかき氷を注文したんです。思わず「(食べて)いいのそれ?」って聞いて怒られたことがあります。「いやいや。松下さん。あなたは僕の歩行訓練士であって、僕の医者じゃないのに、この休憩時間にそんなことを何故言うんや」と。
「僕がどのように生きようとする選択は、自分が決めるんであって、松下さんが決めるんじゃないよ」って言われまして、訓練士としての立場を教えてくれた方がいらっしゃいましたね。

 

自分がしなきゃいけない仕事、踏み込まなくてもいいところがあると思うんです。まずは「歩行訓練」という仕事を全うする。「そんなもん食べたらあかんよ!」というのは、ちょっと違ったのかな。とは思いましたね。

 

但し、その方が低血糖になられたときにどのように対処するかという知識は持っておかなければいけないのですが、その知識を持って、その方の健康管理まで土足で踏み込むのは分野が違うな。ということを思い知らされました。
その方は、はっきりと言って下さる方だったので、その後も「あ。あんぱん食べるんですね。」と僕が言っても「そや!」とか「言うなやぁ!」とか、言い合える仲にはなりましたけどね。

 
北海道や沖縄から来られる方もいらっしゃいます

Q.歩行訓練士は全国から集まるのですか?

 

現在、全国で歩行訓練士の養成校は2校しかないんです。

 

1校は埼玉にある国立身体障害者リハビリテーションセンター学院(以下:国リハ)と、1校はこの日本ライトハウス視覚障害者リハビリテーションセンターです。

 

日本ライトハウスが先に始まりまして、そのあと国リハができました。国リハは必ず2年通して受けなければいけないのですが、日本ライトハウスでは、働きながら受けられる方には、分割履修ができるようになっています。

 

6か月受けて、職場に戻って、必要があればまた6か月受けに来る。といった感じです。仕事をされている方であれば、北海道や沖縄から来られる方もいらっしゃいます。毎年、大体10人以上は研修に来られますね。

何もないところから新人なのに自分でレールを轢かなければならない

Q.生徒さんたちはどんなことで悩んでいらっしゃいますか?

 

日本ライトハウスは歩行訓練士の数も多いんですけれど、県によっては一人しかいないところもあるんですね。そうなると、ここで受講して、県に帰ってもたった一人で色々としなければならないのに、相談する方がいない。土壌がないから全て開拓していかなければならないという方もいます。
何もないところから新人なのに自分でレールを轢かなければならない人っていうのは大変だと思います。

 

ある県では若い女性の歩行訓練士が一人で視覚リハの土壌を開拓し、今は定着し充実している例もあります。また、こちらの研修会に受講に来た直後に地震に遭われて、震災後の対応や訓練を実施しなくてはならないという重責を負っている方もいます。

気づきですよね。現場に行けば分かってくるというのがいいですね。

Q.講義の時はどのような雰囲気なのでしょうか?厳しいのですか?

 

自分ではやさしく講義や実技をしているつもりなんですが、笑いながらきついこと言っているようです。(笑)
「今の「はい」は分かってないやろ?」とか「いい返事だねー。ちゃんと理解してる?」とか(笑)
現在、ホームの転落の話とかありますよね。歩行環境の講義でもホームについての歩行環境は結構力点をおいて話をしているんです。対向式とか島式とかホームの形の名前とかをすごく教えたはずなのに…忘れてるんですよねぇ。(苦笑)
「片側ホームとか櫛型ホームとか基本的なことだから覚えておいてね。今度テストするから。」といって、テスト前に一度復習しましょうって話をしたら、誰も何も分からへんっていう(笑)

 

学び場でよく見かける光景ですね(笑)

 

駅の中で音が鳴っているのも環境でして、階段のところで音が鳴っているのをご存じですか?鳥の声が鳴っているんですけれども。誰も気づいていないんですよね。
でも、そういうことを教えると、次から意識しますし、「電車が近づいてくるときの警告音も変化があります。」というのを受講生から聞いたりですとか。気づきですよね。現場に行けば分かってくるというのがいいですね。

今ある環境でも安全に歩ける方法も考えながら、
啓発もやっていく目を持っておかなければいけない

Q.どのようなことを意識されていますか?

 

環境が追い付いてきてもらうというのはとても大切なことだとは思うんですけれど、追いつくまでに視覚障がい者がそこで生活しないわけじゃないですよね。

 

今ある環境でも安全に歩ける方法も考えながら、もっとこの環境があった方がいいよという啓発もやっていくという二つの目を持っておかなければいけないなと。「ここ歩けない!」という批判をしていても、視覚障がい者はそこを歩かないといけないのであれば、この環境ではどう歩くと安全か。という目も大切にしつつ、もっとこういう風に環境を改善したら、もっと歩きやすくなるね。という啓発も大切にしましょうね。ということをいつも歩行環境の授業ではやっています。

 

例えば音響信号もそうですが、どこにでも付いているわけでは無いですから、付いていないところでは工夫しつつ、ここは付いていないと危ないところは設置を訴えかけましょうという話をしています。

 

また、歩導くんも歩行環境の授業で紹介させてもらっています。盲学校の卒業式での話をしたりしていますね。盲学校の先生も受講されに来ますので。
こういう使い方がありますよ。と言ったお話と、最近では地震があった場合に、「避難所での視覚障がい者への対応としてせめてトイレに行くまでの導線をその場にいる方が作れたらいいですよね。そのような時に、このような(歩導くん)ものが使えると、とってもいいから、もし避難所と関わりがあるのであれば、備品として置いてもらう方がいいんじゃない?」ということを提案しております。そういうところが増えると良いですね。

 

地震に限らず、最近は水害で避難することもありますので、ぐっと身近な話ですので、
もっと意識していただきたいなと思います。「そこに視覚障がい者が居てたら」という意識ですね。視覚障がい者だけじゃなく、通路に(歩導くんが)敷いていあったら、そこにいる皆さんにもわかりますしね。

それぞれの分野が、人のせいではなくて自分たちは何ができるかな。
というところに意識が向かっている

Q.バリアフリーについてどのように考えていらっしゃいますか?

 

歩行訓練士の中で話が挙がっているのは、やはり転落の話ですね。「ホームの歩行環境をどうしましょうか。」という話がでています。

 

鉄道側は「可動式柵の設置を早めましょう。」「(利用者数)何人以上のところはしましょう。」と対応を進めていますよね。今までは、そちらばかりに目が向いていたかと思います。

 

最近の動きとしては、視覚障がい者本人はどういうことをすればよいのだろうか。視覚障がい者を歩行訓練する歩行訓練士はどのように関わったらいいのだろうか。盲導犬の職員はどのように関わったらいいのだろうか。

 

それぞれの分野が、「人のせいではなくて自分たちは何ができるかな。」というところに意識が向かっているのがとてもいいことかな。と思っています。

 

当事者に「点字ブロックと可動式柵があって、どこを視覚障がい者が歩いたら良いのか」と言われました。点字ブロックの真横のところに人が並んでいるんですよね。そこに突っ込んでいく訳にはいかないし、「どいてどいて」って歩くのは自分が視覚障がい者だったら嫌だなと。であれば、「点字ブロックを伝って歩きたいと思うかなぁ。」と。でも、「それってどうなのかなぁ。」とも思ったり。どの敷き方がいいのか。「見えている方が点字ブロックよりも下がって並んでもらえれば歩けるかなぁ。」とか。何が良いのかはちょっと悩ましいとこですね。ホームも狭いですしね。

 

あと、歩行訓練ですごく大変な環境だなと思うのは、歩者分離式信号の横断の仕方というのがとても難しいですね。そこに音響信号があれば渡れますが、視覚障がい者の信号横断は車の発信音とともに信号が変わるというのを理解しているんです。自分が進行しようとしている方向と同じ方向を走行している車音が大切です。停止している車の音がアイドリングをしている音に注目して、その音が発進した音にかわれば渡れると認識するんです。ですが、歩者分離式信号となると、音が無いときに渡らなければいけない状態で、曖昧なきっかけで渡らないといけないので、難しいですよね。

 

また、ラウンドアバウト(環状交差点)という信号を設置していない交差点が推奨され始めているんです。停電とか震災が発生しても交通渋滞が起きないし、お金もかからないという理由で増えてきているんですよね。でも、それも視覚障がい者からしたら怖いんですよね。

 

あとはハイブリットカーの音もですね。発進音が聞こえにくいという。そういうところが新しい環境では課題だね。という話になっています。

 

繰り返しになりますが、啓発は必要だけども、今ある環境でどういう風にそれを上手に使っていくかを、諦めじゃなくて考えていきたいと思いながらやっています。

 

取材日:2017年9月1日

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講師 原口 淳様 バリアバリュー=障害を価値に変えていく事 ~見えないからこそ、人に伝えられる声がある~ 株式会社ミライロ講師 原口 淳様
障害のある当事者が講師や調査を行うことによって、皆さんに
より身近に感じてもらい、多くの方に興味を持っていただいています。

Q.「ミライロ」について教えてください。

 

ミライロという会社は、ハードとソフトの両面のアプローチでユニバーサルデザインの提案や調査をしています。ソフト面ではユニバーサルマナー検定を実施し、多様な方々へのお声がけをどうしたらいいのかといったマインド部分を、ハード面ではバリアフリーの調査を行い、「本当に使いやすいのか」を検証します。障害のある当事者が講義や調査を行うことによって、皆さんにより身近に感じてもらい、多くの方に興味を持っていただいています。僕も検定の講師や視覚障害者の視点から調査をして、「この建物はどうなのか」「この点字ブロックは使いやすいのか」といった観点から調査をさせていただいています。

「バリアバリュー=障害の価値をプラスに変えていこう」

Q.入社したきっかけについて教えてください。

 

共通の知り合いを通じて代表の垣内と副社長の民野と知り合ったのがきっかけでした。垣内と民野がまだ大学生で、僕も大学を卒業したばかりでした。当時、大学内のバリアフリーマップを作る仕事をしていて、一緒にやってみたいと思って入社しました。
僕が通っていた大学は、視覚障害者を一度も受入れたことがなく、ノウハウもなければ設備もきちんと整っているわけではありませんでした。しかし、大学側が受入れ態勢を整えてくれたので、話をして何もないところから一緒に作り上げていくことができました。

 

大学に入学するまでは盲学校で生活をしていたので、自分たちが生活しやすい環境や授業を受けられる態勢は当たり前にあったのですが、社会に出ると当たり前じゃないんだなということに最初はすごいショックでした。その反面、大学の職員の方と話をして「じゃあ、こうしようね。」と一つずつ解決していく事により、段々と生活がしやすくなっていくのを感じ、周りの人たちの理解やコミュニケーションを円滑にとっていけば自分たちも生活しやすい環境ができていくという一つの希望が持てました。このような大学生活を送っていたので、垣内や民野の「障害のある方が生活しやすいように当事者の視点から伝えていこう、提案していこう」という姿勢がすごく新鮮でしたし「これこそ自分にしかできないことだな」と思ったので一緒にやっていこうという決断しました。

 

かつては「目が見えなくても出来ること」とか「とりあえず晴眼者の人たちと同じことをできるようにしよう」という考えでずっと生きてきました。何をするにも目が見えないことで諦めが先に立つことが多かったといいますか。「障害があるから無理だ、自分にはできない」という想いがずっとあったように思います。垣内や民野から「バリアバリュー=障害を価値に変える」という考え方を聞いたときに、これまでの自分の考え方は真逆だったと気づきました。

 

Q.入社して嬉しかったことや苦しかったことがあれば教えてください。

 

入社した当時と今を比べると会社の規模も大きくなりましたし、社会背景とも変わってきました。今では、大阪・東京・福岡と三拠点で一緒に会社を盛り上げていく仲間が増えたというところが一番嬉しいことですね。数か月単位で仲間が増えていくので、毎日が新鮮です。

ハード面について日本は本当に素晴らしいと思うので、
あとは人々の意識を変えていく必要があります。

Q.バリアフリーの現状についてどう感じていますか?

 

今は特に2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて人々の意識が変わってきていると感じています。また、障害者差別解消法ができたというのも1つのポイントですが、ここ20~30年に制定や改正された法律や条例によって、人々の意識は変わってきていると思います。

 

パラスポーツもそうですね。障害のある方が取り上げられる、話題に挙がる。そういう機会がすごく増えてきたと思います。これはとても良いことだなと感じています。しかし、2020年で終わってはいけないとも思っています。障害のある方が2020年で居なくなるわけでは無いですし、高齢者はこれからどんどん増加してきます。彼らとどのように向き合っていくのかをもっと考えていかなければいけないなと思っています。

 

Q.海外のバリアフリーはどうですか?

 

ブラインドサッカーの遠征でベトナム、プライベートで韓国とハワイに行ったことがありますが、この3カ国の中では日本がどの国よりも歩きやすいです。エレベーターの設置台数が多く、点字ブロックも普及しています。道路も綺麗に舗装されています。

 

ハワイや韓国は段差や階段が多く、エレベーターや点字ブロックは日本ほど設置されていませんでした。ベトナムは日本とは比べ物にならないくらいハード面は整備されていません。でも、ベトナムやハワイでは、周りの人が声を掛けてくれ、サポートしてくれる積極性は一番凄かったです。通りすがりの人が気さくに声を掛けてくれるんです。例えば飛行機を降りる時も、僕に同行者がいるのにも関わらず、現地のスタッフの方が自然と手を差し伸べてくれたりとか。前を歩いていたお客さんが声を掛けてくれたりとか。当たり前に声をかけてくれたので、僕自身もそうでしたが一緒にいた家族が何よりも驚いていました。

 

今でこそ世間の冷たい視線は少なくなってきましたが、僕が子供だった頃は目が見えない僕と歩いているだけで、家族もジロジロと見られていました。そういった過去もあり、海外の自然な対応に家族が一番感動していました。

 

ハード面については日本は本当に素晴らしいと思うので、あとは人々の意識を変えていく必要があります。講師という立場から、少しでもそのお手伝いをすることが今の目標です。

障害のある方と関わることへのハードルを
できるだけ下げてもらいたいなと思っています。

Q.ユニバーサルマナー検定や講演を通して伝えたい事は何でしょうか?

 

「会ったことがない、話したことがないから声を掛けられない」というお声をいただくことが多いんですね。なので、皆さんの前でお話しさせて頂くときに意識しているのは、「障害者をより身近に感じてもらう」ことです。ユニバーサルマナー検定や講演では、できるだけ楽しく話すことで、障害のある方と関わることへのハードルを下げてもらいたいなと思っています。

 

Q.話すときのコツがあれば教えてください。

 

僕は検定や講演に来てくださった方々の顔が見えるわけではないので、人の多さに圧倒されてしまうことがないんです。でも人がいないと思っても伝えたい事は伝わらないと思うので、いつも自分の目の前に一人の人を想像して喋っています。

ユニバーサルマナーが定義しているのは
「自分とは違う誰かの視点に立つこと」

Q.ユニバーサルマナー検定を受けた方からの反応はいかがでしょう?

 

とてもありがたいことに、検定を受けられた方から感想を頂くことは非常に多いです。

 

中でも嬉しいのが、梅田などで歩いているときに、声を掛けられる時です。「原口さん!」って名前を呼ばれて、「検定を受けた者です」と話しかけてくれるんです。そして、「検定を受けた後から困っている方に声を掛けられるようになったんです」などというお話を直接していただけるのは本当に嬉しいですね。こういうお声をいただけると、応援してくださっている方の為にも、もっとがんばらないとなと改めて思います。

 

Q.ユニバーサルマナー検定の真骨頂は何でしょう?

 

「障害のある方」とか「高齢者」とか、特別に考えてしまうと遠い存在や普段関わりがない人になってしまうかもしれないですけど、ユニバーサルマナーが定義しているのは「自分とは違う誰かの視点に立つこと」です。「自分とは違う誰か」という風に考えると、言葉のままですが「自分以外の人みんな」なんですよね。それが「目が悪くて電車に乗ることに困っている人」なのか、「階段の前で立ち止まっているベビーカー利用者」なのか、「店の入り口の段差に困っている車いす利用者」なのか。ただそれだけの違いということをお伝えし、目の前の人と向き合うきっかけを提供できることかなと思います。

「見えているか、見えていないかは放送部の大会には関係ない。
見えないからこそ、人に伝えられる声がある。」と  ずっと僕を応援してくれました。

Q.学生時代に放送コンテストで全国大会に進出されたことがあるようですが。きっかけは何だったのでしょう?

 

もともと盲学校に通っていたのでコミュニティがすごく狭かったんですね。「健常者の友達がほしいけど、盲学校の中ではどうすることもできない」という思いを持ちながら過ごしていました。転機は高校一年生の時でした。一般の高校で放送部の顧問を担当していた先生が、盲学校に赴任してきたんです。「もっと健常者の方と何かやりたいな」という話を伝えたところ、「じゃあ、放送の大会に出ようよ。そうすれば、別の学校の友達ができるんじゃないか」と言われたことが放送を始めたきっかけでした。元々、話をすることが大好きでしたし、まして健常者の方と同じ大会に出る機会は盲学校にはなかったので、2つ返事で大会に出ることに決めました。

 

これもまた不思議なご縁ですね。恩師と巡り合えたんですね。

 

そうなんです。当時何も考えていなかったんですけど、今思い返してみればその先生が「バリアバリュー」を教えてくれていました。障害があると、まず人とは違うことを知り、そこから生まれてくるのは「辛い」とか「悔しさ」で、どこかで「諦め」が出てくると思うんですよ。私も「自分は人と違うから無理だ、できない」と全てを諦めてしまっていました。しかし先生は、「見えているか、見えていないかは放送部の大会には関係ない。見えないからこそ、人に伝えられる声がある。」とずっと僕を応援してくれました。今はそれを体現できているなと思うと更に嬉しいです。放送部での活動によって希望が見えましたし、本当にありがたい出会いだったなと思います。

試合や練習をしているときは「見えないこと」を全く感じない

Q.ブラインドサッカーもされているようですが、魅力について教えて下さい。

 

元々スポーツが好きで、20歳の時にブラインドサッカーと出会いました。そこからずっとチームに所属していて、今も現役で続けています。

 

ブラインドサッカーはアイマスクをしたプレイヤーの他に、晴眼者のゴールキーパーとサイド(ゴールの場所を教える役)がいます。パラリンピックの正式種目としてはすごく珍しい、障害者と健常者が同じピッチに立ってプレイできる競技なんです。中でも一番魅力的に感じているのは、試合や練習をしているときは「見えないこと」を全く感じないことです。目が見える見えないに関係なく、みんなが対等な立場でそれぞれのポジションで役割を果たして、「チームのために1点を取るためにみんなが切磋琢磨している」そういうところが好きです。生活する上ではどうしても不便なことがありますが、ブラインドサッカーのピッチの上では目が見えないことを忘れてしまうんです。いいプレーをすれば「ナイスプレー」って言ってくれますし、ピンチを救えば「ありがとう」と言ってくれるんですね。しかもそれは目の見えるゴールキーパーからだったりするんです。その瞬間は本当に幸せで、すごくいい時間を過ごさせてもらっています。僕がブラインドサッカーを9年間ずっと続けている大きな理由ですね。

 

障害者スポーツ全般だと思うんですけど、本当にみんなが支えあって、一緒にプレーしているんだという所が、まず見ていてすごく魅力に感じる一つかなぁと思いますし、競技によっては誰でもプレーできる、みんなが一緒にできるという所も一つですね。折角3年後に世界トップレベルのパラスポーツを見られる機会があるので、多くの方に知ってもらいたいし見てもらいたいです。また、ブラインドサッカーのピッチ上の関係性を社会全体に広げていけるように、研修や講演にもっと力を入れていきたいです。

 

取材日:2017年10月12日

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齋藤 真木様の写真 「気付く心眼」を持つ
介護福祉士を育てるために
松本短期大学 介護福祉学科講師 齋藤 真木様
全国の大学・短大の中で介護福祉士養成校としては最初にスタート

Q.松本短期大学の介護福祉学科について教えてください。

 

松本短期大学は、長野県松本市の郊外、松本空港のそばにあります。
昭和46年に松本保育専門学校として開校し、現在は、幼児保育学科、介護福祉学科、看護学科の3学科約500人の学生が学んでいます。その中で、介護福祉学科は平成5年に介護福祉士の養成校としては、全国の大学・短大の中ではいち早く開設されました。

 

今までは、介護福祉士の養成校を卒業すると同時に介護福祉士の国家資格を得ることができましたが、法律が変わりまして、今年卒業する今の2年生からは、卒業時に国家試験の受験資格が得られるということになりました。つまり、卒業直前に国家試験を受けて合格して、初めて介護福祉士として働くことができるのです。

 

そこで、本校は、卒業前に国家試験を受けて全員合格して、質の高い介護福祉士として現場で活躍できることを目標とした教育内容となっています。
2年間の学習内容としては具体的に、「人間と社会」という領域で、社会のしくみや、法律・制度、人の権利や尊厳といったところを学び、2つめに「こころとからだのしくみ」という領域で人の心や身体のしくみ、病気や障害などについての知識を得て、3つめに「介護」という領域で、介護を必要としている人が豊かな自分らしい生活を維持していただけるような、様々な生活支援の技術などを学んでいきます。
さらに、うちは短大ですので2年間かけて、各自で決めたテーマで介護福祉研究を行い、論文にまとめ、パワーポイントを使って学内で研究発表会を行っています。その時には、学生のご家族や実習先の施設の方々も駆けつけてくださいます。

「国家試験合格」と「現場で伸びる人をつくる」
この2つがポイントですが、課題でもあります

Q.今回から、卒業すると「国家試験の受験資格が得られる」ということですが、
今までと体制が変わってくるかと思います。その点での不安などはありますか?

 

不安は不安ですよねー…(苦笑)いろいろな学生が在籍しているので、全員を合格基準まで持っていけるのかと言う点では不安があります。学校としても試験対策講座なども設け、学生も頑張っていますが…。
また、実習などを通して、現場で対人関係がうまく行かず「介護福祉の現場で働くのを諦めようかなぁ…」と言う学生も中にはいますので、国家試験対策と並行して、そういうところもサポートしたいですね。

 

現在、介護福祉を担う人材が全国的に不足している中で、少しでもいい人材を送り出したいという願いはあります。「国家試験合格」と「現場で伸びる人をつくる」この2つが重要なポイントですが、課題でもあります。

特性を活かした道へ進んでいかれるというのが中々難しいところで、 今後の課題です

Q.障害者差別解消法も施行され、大学側も色々と対応が必要なことも出てくるかと思うのですが、
対応についてはどのように考えていますか?

 

色々な障害を持った方に学ぶ機会を提供していくことは学校として、出来る限りの対応をしていこうと思っています。身体に障害がある方たちはどのようなサポートをしたらいいのかある程度予測はつくのですが、学習障害や精神的に障害がある方ですと、中々難しいですね。

 

というのも、ご本人やご家族が障害の特性を理解されていない。ご本人が自覚されていないし、ご家族もそれを認めようとされない場合が多いのです。診断を受けていたり、ご家族の方から「こういう風にサポートしてほしい」とお話を頂いたり、本人が自覚されていたりという場合は、サポート側もとてもやりやすいとは思うのですが。やはりそれが認めきれないところがありますよね。では、どういう風に伝えたらいいのか、何に困っていてどんな方法でサポートしていくのか、周囲との公平性は、などなど問題はたくさんあります。

 

次に、卒業して、資格を取得したとしても、今度は就職という壁があります。たとえ就職できたとしても、しばらくしてやめざるを得ない人もいます。一人ひとりの特性を活かした道へ進んでいかれるよう導いていくことが中々難しいところで、今後の課題です。県でも講習会などを開いて、高校と大学とか、大学とその先とかの連携という事も言われてはいるのですが、個人情報の保護ということもあり、その辺りも課題だと思います。

外出したいという事をサポートするときに
学校周辺を歩くだけの実習では足りないと感じた

Q.「車いすの街歩き」を始めたきっかけについて教えてください。

「車いすの街歩き=障がい者の外出支援」についての授業で、実際に松本市街地に車いすで出かける(本校から松本市街地までは自動車で30分の距離)ようになって6年めになります。

 

以前は、すぐ近くの松本空港周辺まで、車いすで行って戻ってくることは毎年実施していたんです。でも、このあたりの地域はご覧の通りのどかなところなので、あまり勉強にならないというか…。せいぜいコンビニに寄って買い物をしてみる程度でした。
しかし、今、障がいがある方たちの外出や旅行の機会を増やそうという動きがどんどん高まってきています。その中で、介護福祉士として現場に出た時に、ニーズに応えることができるのだろうか?この辺を歩くだけの実習では足りないのではないか?と考えたのが、きっかけですね。

 

毎年10月に、授業の一環で、グループごとに計画を立ててJRや路線バスなどの公共交通機関を使ったり、松本の繁華街などを歩いて、ショッピングやいろいろな施設などを見学したり、外食をしたりという体験をしています。

 

6年も続かれると、周りの皆さんも「この季節がやってきたなぁ」などと感じていそうですね。

 

そうですね。「去年も学生さんいらっしゃいましたよね」などと、時々声を掛けられます。

 

最初は、車いすで実際に街へ出てみることで、「利用者様の外出を安全に快適に支援する力をつける。」というのが一番の目的で始めたんです。でも、体験をしていく内に「街にはいろんなバリアが本当に多いんだ」ということに学生が気づくようになりました。「物理的なバリアはもちろんだけど、その他にもいろんなバリアがあるよね…。」という話になり、ではそのバリアをどのように克服していこうかと…。

 

物理的なバリアという点では、6年の間に段々に整備は進んでいることがうかがえます。でも、置き去りにされている部分も、まだまだたくさんあります。周りが気付かない部分もあるので、学生が気付いたところについては、行政の方に提言していこうという風にしています。

 

そして、もう一つ大切だと思うことは、「障害のある方が、(私たちは車いすですけれど)どんどん街に出ていく」姿を周りの人に見て頂くことです。いろいろな状況の人の姿を見て気づくことが、人間関係におけるバリアの解消につながっていくのではないでしょうか。ちょっと声を掛けてみたり、「こういうことやってあげたらいいのかな?」っていう気付きが広がる(私たちの姿を見て頂いて)ということも、今では大きな目的の一つになっているかなと思っています。

まずは自身が体験することから

Q.街歩きを通して、生徒さんも、意識がだいぶ変わるかと思いますが…いかがですか?

 

そうですね。まずは、物理的なバリアの部分は、いろんな場面で感じてきます。
どういう風に乗り越えて行けばいいのか、介護していけばいいのかというのは実際にやってみて初めてわかることだと思いますね。

 

また、利用者役と介護者役の両方を体験してみると「周りからの視線が痛い!」っていうんですよね。その辺を感じることも一つ経験だと思います。車いすに乗って、押してもらっていると「介護者が疲れるだろうな。」とか、ちょっとした介護者の言葉にも気を遣うんですよね。そういうのも利用者役をやらないとわからないですしね。
歩いてみたことによって、街を見る意識も変わるし、介護をする意識が変わっていくというのが大きな収穫ですね。

 

今回、授業を見学させていただきましたが、砂利道のサポートの仕方は初めて知りましたし、
中々体力を使いますよね。

 

そうですね。砂利道では、車いすのキャスターが砂利にはまってしまい、動けなくなってしまうことがあります。そこを通るのには、ちょっとしたテクニックが必要ですよね。

 

また、例えば歩行者は何気なく歩道を歩きますが、実際は歩道って車道に向かって斜めになっているんですよね。その斜めの所を車いすを押して歩くというのは大変なんです。どんどん車道側に進んでいってしまうし、車道と歩道の間のちょっとした段差にキャスターがひっかかって、すごい振動がきたり、利用者も介護者も大変な思いをしています。

 

その他にも、例えばJRの駅ですと、一日の利用客が5000人以上でなければエレベーターを設置しなくてもいいそうなんです。都会の方ですと、車いすの利用者が公共交通機関を利用されている姿を見かけますが、この辺りはまだエレベーターなどがない駅が多いです。
学生4人で車いすごと利用者を持ち上げて駅の階段昇降をしてみたのですが、乗っていた人は「怖かった!」と話していました。
ホームと電車の間の乗り降りについては、駅員さんが、「スロープを利用しますか?」と声をかけてくださることもあります。「ありがたかった!」というグループもあれば、スロープは無しで自分たちの力で乗り降りしてみるグループもあります。それが実際はとても「怖い」そうです。この経験がやはり印象としては強く残るみたいです。

 

もちろん、外出体験の前に電車昇降等の練習は学内で十分行うのですが、実際にやってみるたいへんみたいです。見兼ねた他のお客様が手伝ってくださったりもするんですよ。

もっと外出しやすいような環境を確保しなければいけない

Q.バリアフリーの現状について、何か感じていることはありますか?

 

1つ例を挙げさせて頂くと、私の84歳の母が、股関節の調子が悪く、やっと家の中ならなんとか歩ける状態なんです。去年までは車の運転をしていたのですが、とうとう思い切って免許の返納をしました。

 

長野県は、1人1台車を所有しているような土地柄ですから、免許返納によって外出の機会は極端に制限されてしまいました。
私の住んでいる市の場合は、オンデマンド交通のシステムがあり、免許返納時に利用券を少し頂いたのですが、すぐに使い切ってしまい、今は毎回現金払いなんです。また目的地まで行くのに乗り換えが発生するので、乗り換えに1時間待ったということもざらにあり、以前のように好きな時に好きなところへ行くという事が出来なくなってしまいました。

 

例えば、普通のタクシーをもっと使いやすくしてもらえたらいいなと思います。タクシーでも、障害者手帳を持っていて、かなり等級が上の方でないと割引が効かないので、もっと、免許を返納された方達にも救いの手を広げてほしいなと思います。
今、高齢者が運転していて事故を起こしてしまうことが度々報道されていますよね。ですので、気軽に免許を返納できるように、もっとその人たちが外出しやすいような環境を確保しなければいけないなと思います。体が不自由になっても、外出を楽しみに、活動的に暮らしていかれればいいなと思います。

 

もう1つ、こちらも母が例になりますが、母は美術館巡りとかが好きなんです。今、公共施設やスーパーなどに車いすが置かれていて、よく利用させていただきます。ところが、その車いすのタイヤの空気が抜けたままのことが多いんです(ノーパンクの車いすを使用されている施設もあります)。空気が抜けたまま車いすを使うと、押す方もかなり力が要りますし、振動で乗り心地が悪い。そして、ブレーキは効かないし危なんです。
当事者じゃないとわからないと思うので、気が付いた時には声をかけるようにしていますが。空気が抜けたままの所って結構あるんですよね。施設に車いすが置かれるようになったというのはとてもありがたいのですが、利用者の立場になってというところまで浸透していくといいなぁと思います。

将来的に現場でリーダーになり得るような学生を育てていきたい

Q.介護福祉士の役割とは?

 

一言でいうと、介護を必要としている人が「その人らしい生活」を送るためのお手伝いをすることだと思います。「相手の立場になれる」「人の気持ちが分かる」という優しさと共に「気づく心眼」を持ってほしいというのが一番の願いです。

 

介護福祉士の養成校に通わなくても、現場で3年働いて経験を積み実務者研修を受ければ介護福祉士の受験資格が与えられます。
このようにして、働きながら頑張って介護福祉士の資格を取る方もたくさんいます。それは本当に素晴らしいことだと思います。

 

しかし、現場で見様見まねで覚えていくのと、学生(養成校で学んだ)が、一つの動作でも「だからこうするんだ」と根拠をもって考え行動できるように学習してから現場に出ることには大きな差があります。
もちろん、現場で学ぶという事は重要ですが、現状として、人手が足りなくて研修が十分にできないようなところも多くて、本当に見様見まねで介護の方法を習得している方が多いのです。
そこで私たちは根拠のあるしっかりしたものを持った、将来的に現場でリーダーになり得るような学生を育てていきたいなと思っています。

介護福祉の魅力を感じてほしい

Q.卒業された学生さんは、やはり福祉関係に就職されるのですか?

 

少数派として、一般企業に行く子もいますし、進学する子もいますが、ほとんどは福祉関係に就職しています。

 

Q.学生さんはどのような志望動機で入学されていますか?

 

志望動機は様々ですが、自分の家族でおじいちゃんおばあちゃんの介護が必要であるとか、親が介護職として働いている姿を見て、自分も介護福祉士になりたいということが多いですね。2年間学ぶことで、介護福祉の仕事の魅力とかそういうものを感じて、卒業していってもらえればいいなと思います。

 

その一方で、実習等を経験しても、介護を学んでいる学生が介護福祉の現場に魅力を見出せなくて…ということもあります。現場も忙しいからということもあると思いますが、実習に出て、働く人の姿を見て「なんかちょっと違うんじゃないかな」と思ってしまったり、指導のされ方などで傷ついてしまったりして「介護の道に進みたくない」と思う学生も出てきているのも事実です。

 

言葉で魅力というものは中々伝えられないものですが、「先輩方のように、こんなふうに風に働きたいんだ!」「利用者様から、笑顔とありがとうのことばをいただける仕事って素敵!」と夢をもって卒業できるように送り出してあげたいなと思っているのですが。

 

Q.ちなみに、齋藤先生はなぜこの道に進まれたのでしょうか?

 

学生たちと同じ20歳前後の頃、福祉に興味はあったのですが、その世界に飛び込もうと踏み切れずに社会人になりました。
うちの子供がまだ小さかった時に、長野市に住んでいたんですが、私が卒業した長野社会福祉専門学校が開校されたんです。長野県では最初に介護福祉士の養成校として開校されたのが、私が30歳の時でした。ニュース等で取り上げられて「こういう学校があって学ぶことが出来て、福祉・介護の現場に入ることができるんだな」と分かって、「じゃあちょっと勉強してみたいな」と思ったのが、この世界に入るきっかけになりました。

 

専門学校に入り、2年間で介護福祉士を取りまして、子供が小さかったので(当時は)夜勤が無い社会福祉協議会のヘルパーとして仕事を始めて、訪問介護員や、デイサービスセンターの生活相談員の立場で数年勤めました。その内、出身の学校から「教員にならないか?」と声を掛けられまして、勉強をしながら介護福祉士養成校の教員になって今に至ります。

若い人たちを育てていくところに携われるという喜びはすごくあります

Q.学生さんに期待することや、齋藤先生のやりがいについて教えてください。

 

学生たちが「2年間でどう変わるか」って言われると、そんなに変わらないんですけれど、2年間で学んだことが基になって、社会に出て伸びてゆく姿を見られるので、そういうところに期待したいなと思いますね。特に介護福祉学科の卒業生は本当によく学校に遊びに来てくれます。「仕事で業績挙げているよ。」と言う話や、結婚の報告、中には子供の成長を見せに…。

 

私自身、現場で介護福祉士として仕事をしていた時も、利用者様との関わりは本当に楽しくて、仕事大好きでした。それから教員という立場になってみると、今度は若い人たちを育てていくということに携われるという喜びはすごくありますね。
例えば、学生が施設で実習をしている時に、その施設へ教員が巡回指導に伺うんです。その施設で、卒業生が頼もしく働いている姿を見たときなんか、とても幸せですね。これからも、もうしばらくこの仕事を続けていけれればいいなと思っています。

 

取材日:2016年4月13日

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長野県松本盲学校 校長の写真 「夢」を描ける盲学校を目指して 長野県松本盲学校 校長矢野口 仁 様
将来的に自立して社会参加をして頂くために、出発点を丁寧に聞き取る

Q,盲学校について教えてください。

 

盲学校とは、視覚障害がある方々のために設立、運営されている学校です。
一番目の目的は、その方々に障害があっても将来的に自立して社会参加をして頂くために、私共がお力添えをさせていただくことでございます。
クラスは、大きく分けて2種類ございます。一つは「単一障害学級(視覚障害のみ)」【適切な器具や学習方法を工夫することで小中学校、あるいは高校に準ずる教育を行う学級】。もう一つは「重複障害学級(視覚障害に加え聴覚障害や知的障害等の複数の障害がある)」【障害の状況に合わせた特別な教育課程で教育を行う学級】です。

 

学級の所属は、一人ひとりに対して、どのような障害の状況でいらっしゃるのか、また、何を目指していきたいのか等について、ご本人や家族のお気持ちや意思を丁寧に聞かせて頂いて、出発点を聞き取っております。諸検査も丁寧にするように努めています。見え方は百人百様あるものですので。
見えにくさの実態やご希望に合わせて、どういう教育を組んだらいいのかを、できるだけお一人お一人に合わせて考えるようにしております。

 

また、盲学校はどこも人数が少ない学校なのですが、その一方で知的障害や肢体不自由のお子さんたちの割合が増えている現状があります。また、複数の障害があるお子さんも増えているため、学校を再編成するときに盲学校とほかの障害種の学校を同じ敷地に建てていこうとする流れが全国的に広がっています。
その際、私どもとしては、他の障害種の方々と混合するのではなく、盲学校の場所と先生方は用意していただいて、その代わり、交流をうんとやりましょう、というコンセプトでお願いをしております。
体育の授業を例に挙げますと、それぞれに一番適した種目というものがあって、両方を同じ空間で同じメンバーでというのは難しいんですね。なので、それぞれに適した環境を用意して授業は別々で行いますが、その代わり、音楽など一緒にできるものは一緒にやりましょう、と言ったフレキシブルなものですね。

「夢を持つことに積極的になろう」「みんなで力を合わせよう」

Q.学校を運営していくにあたって心に留めていることはありますか?

 

一言でいうと、視覚障害のある方にとっての最善の学校になっていく、と言うことに尽きますね。そのための手立てといいますが、キーワードが「夢」だと自分は思っています。「夢」を描くことができるのも一つの能力ですし、先生たちも幼児児童生徒たちも、保護者の皆さんも、学校という場で「夢」を描いて、それに向かっていく楽しさをみんなで共有して、その過程で学んでいくということがすごくいいことなんだろうな、と思っています。
今小中学校ではコミュニティスクール化という動きがあって、地域の皆さんと共に良くなっていきましょうという考え方で動こうとしているんですけれど、視覚障害者や視覚障害者を支援してくださる方々をある意味「地域」と考えて、そういう方々と私たち盲学校で共に手を携えてより良い最善の学校を目指していきたいなと思っています。
校長講話では「夢を持つということに積極的になろう」とか「それを追い求める時に皆で力を合わせよう」とか、「本人が頑張っていることは、周りの人にもすごく励みになる」、「あなたは自分のために頑張るんだけれど、あなたが頑張ってくれることは周りの人にも幸せをもたらしてくれる」、「うんといいことをしているのだから頑張ってね」っていう話を繰り返しさせて頂いています。

「私たちも応援するよ!」と本人に伝えることが大切。

Q.夢を描くとのお話がありましたが、エピソードがあれば教えてください。

 

地元の小学校に通っていたけれど、中学から当校に来られた生徒さんがいらっしゃいました。難しい事情があったのでしょうね。モチベーションが上がらなかったんです。でも、根本にはお友達が大好きで、地元でまた何とか頑張りたいと思っていたのでしょう。その子は、「高校に進学したい」とお話しされたんですね。本校の高等部ではなく、地元の普通科の高校です。

 

視覚障害のある方が普通科の高校で勉強されるというのは中々難しいんですけれども、それを実現するためにみんなで何ができるか、ということを教員で話し合って、授業をし、受験対策もし、地元の中学校さんに協力をお願いして中学校でやる試験を一緒に受けさせて頂いたりしました。試験結果を高校の方にお知らせして、「こういう風にしていくと高校の授業についていけるのですが、何とかお願いできますか」と、進学の基盤を作らせていただきました。

 

一番はやはり「私たちも応援するよ!」ということを本人に伝えることで、本人の受験に向けてのモチベーションが上がるよう努めることも大切かと。幸い本人のやる気も高かったので、合格することができました。入学した高校の最初の定期考査で、上位に入ったとお聞きしまして、とても嬉しかったですね。

盲学校を積極的に選択していただけるような学校へ

Q.100回目の卒業式を迎えていかがですか?

 

100回続いたことの意義はすごく大きいなと思いますね。

 

松本盲学校も山あり谷ありで、かつて在籍者が100名を超えた昭和40年代前半のような時もあれば、10年前のように小学部の子どもさんが0人という時もあったんです。

 

学校はあるのだけれど、該当する子どもさんたちに来てもらえないという時代がありました。似たようなことがきっと過去にもあったとは思うんですけど、それでも卒業生が途絶えること亡く100年続いてきたという事は、みんなが盲学校を続けるんだという関係者の強い意思があったからだと思うんですね。

 

なので、自分もこれから将来に向っては200回まで続くような盲学校にしていかなきゃいけないな、と思っています。

 

昔はですね、目の悪い方は盲学校に行きなさい、という世界だったんですね。中には嫌々来なきゃいけない方もいらしたわけですけど、今は基本的に「どこに行きたいです。」とご本人と保護者さんが意思表明をされると、それが尊重されるシステムに代わりましたので、かなりの数が小中学校にいらっしゃるんです。
そういう方々にも「盲学校に行った方が自分の力が伸びるわ。」「いい人生が切り開けるかもしれないわ。」「地元はこっちだけど、学ぶ場はこっちの方に僕は行きます。」というような気持ちで積極的に選択していただけるような盲学校にしていきたいと思います。

 

盲学校側も子どもさんが来るのを待つだけでなく、「生徒さん来てくれないかな~!!」という気持ちをもって、そのために自分たちがどうなって行けば結果が出せるのか、と考えていくことも楽しいですよね。そういう考えを教員一人一人が持ちながらやってくれると、すごく魅力的な教師集団になったり、学校になっていくと思うんですけど、そこを目指していくために「選ばれる盲学校」というコンセプトを持ちたいですね。

「打って出る盲学校」をモットーに

Q.全国盲学校校長会の会長としての思いを教えてください。

 

まず、全国盲学校長会っていうのは、盲学校の校長同士の研修の組織なんですね。

 

盲学校の教員上がりの人が校長に必ずしもなれるというわけではなくて、小中学校の校長とか高校の校長から盲学校の校長になるパターンが少なくないんですね。

 

だけれども、盲学校に勤めていく職員の中にはもう何十年もその学校に勤めているという人もいて、職員の方が詳しいんですよ。その中で学校を経営していくには、校長が短期間で「盲学校とは何か」をうんと学ばなくてはいけないんですね。そのための情報提供をしたり、相互に質問して回答したりしていくのが全盲長会です。

 

活動についてですが、「打って出る盲学校」をキャッチフレーズにして活動しおります。

 

自分たちがやっている教育実践をどんどん発信して、「皆さんに来ていただいて必ず満足いただける学校でありますよー!」と知っていただく努力をする活動を全国各地でやろうとしています。先ほどの話にも繋がるんですけど、本当に自分の意思で選択してここに来てもらえるような、「選んで頂けるような盲学校」になって、子どもさんたちも増えてますますにぎやかになるような、そんな盲学校にしたいなと思っています。

 

錦城護謨さんからこのようなご縁を頂いて、私たちも学校としてお付き合いを頂いているわけですが、この流れっていうのは全国盲学校長会の流れでもあるんです。

 

前会長も積極的に校外の力を取り入れて、「子どもさんたちにとって少しでも良くなるものがあったらどんどん提携の輪を広げていこう」という考えをお持ちでした。
今の自分の考えは、まさにこの校長会があればこそだと思っています。

 

錦城護謨さんとのご縁を頂き、誘導マットを使わせて頂いて、「視覚障害のある方々のために商品開発をしてくれて、普及のために全国を回ってくださる方がいるんだよ。盲学校を応援してくれている人がいるんだよ。」ってことを、自分はマスコミ等通じて健常な方や視覚障害のある方に発信をしているつもりなんです。こうやってみんなで何とかいい社会を作っていこうとしてくれるので、盲学校も頑張るから、皆さんもまた一緒にやっていきましょう、と思いながらやらせて頂いております。

基本的に障害のある方に優しい社会は、誰に対しても優しい社会

Q.現状のバリアフリーで感じることは何かありますか?

 

国を含めて全体的な流れとしては、「障害があっても世の中で暮らしていけるようにしていきましょう」という良い方向に向かっていると感じていますが、障害のある方、例えば視覚障害のある方が安心して外に出られるように頑張ってくださるものがさらに続いて、さらに力強く推進していってほしいなぁ、と言うのが今の思いです。

 

「もっともっとやって欲しい」といいますか、障害のある方に配慮のある社会・施設設備とかですね。出来てみると、誰にとってもいいんですよ。表示にしても段差にしても。

 

安全や安心、過ごしやすさのためにコストは掛かるんだけど、そのことを補っても余るくらいの安心感はきっと確保されてくると思うんです。今、社会を挙げて点字ブロックや転落防止のホームドアとかが整備されつつありますが、あれも日本中の人が安心して生きる世の中に繋がっていくはずだと思います。各自が調子悪くなった時にてき面に感じますけど、基本的に障害のある方に優しい社会は、誰に対しても優しい社会なので、やっていって間違いないと思います。

ぶつかることではなく、怖さを感じることについてもう少し配慮していただければ

Q.みなさんへお願いしたいことはありますか?

 

ほんとに小さな例なんですけど、自転車なんですよね。

 

自転車って音もなくひゅーって、突然通り過ぎていくので、視覚障害のある方々からするとすごく怖いんですって。そこがですね…。

 

地域的なものかもしれないんですが、歩道を通られる自転車が多くて、上手によけてくださる方がほとんどなのでぶつかることもあまりないんですが。やっぱりね。怖い。っていうのはありますね。それから、白杖を持って歩かれる方が右側通行をしていても、後ろから抜かれていくことがありまして、ぶつかるということではなくて怖さを感じることについて健常な方がもう少し配慮していただければありがたいなぁ。と。

 

これは、視覚障がいの方だけじゃないと思うんですよね。恐怖感と言いますか。

 

それってすごく気持ちの中に占めるウェイトが大きくて、それが大きくなりすぎると外に出られなくなっちゃたりとかいうのもあるんです。

盲学校が視覚障害の方たちの社会を繋いでいく役割になれれば

Q.最後に、盲学校が担う役割は何だと思いますか?

 

一つエピソードを交えてお話しさせて頂きますと、生徒に何か目標が見えなくて、真面目だけで今まで来ているお子さんがいたんですね。そのお子さんに「パラリンピックを目指してみないか」とすごいテーマを持ち掛けた先生がいるんです。本人は「えー!」って言いながらも引き込まれていくんですね。今では本気で狙っているんですよ。

 

普通の学校と違って、盲学校ってすぐ全国大会なんですよね。そこから世界にチャレンジしようと思えば、応援してくださる組織とかシステムがあるので、あとは子どもたちに「やってみない?」ってその気にさせる人がいるかどうかですよね。

 

そういう何か「夢」を与えて、本気にさせちゃう教員って、自分の職場に居ながらすごいと思うんですね。
また、そういう方が複数いるんです。地方の小さな盲学校であっても、「夢」を描くことにおいて大都市の大きな盲学校には負けないという思いでいられるのは、そういう先生方のおかげですよね。

 

何とか障害のある方の力になってあげたいと思ってくださる方が結構いらっしゃる。障害のある方も現状に満足しているわけじゃなくて、「何かやりたい」とは思っている。ここがなかなかうまく結びついていない、っていうのが一つ今の課題かなと思いますね。

 

国の方でも特別支援学校が一つの活動の場所となって在校生や卒業生が日常的にスポーツが楽しめる場所になって行ったらいいね、というような構想を持っています。松本盲学校も出来ればそんな場所になって、在校生や地域の小中学校生、視覚障害のある方が遊びに来て、できるスポーツをしてひと汗かいて帰っていけるようにしたいなと思っているところです。
また、視覚障害がある方自身が先生として勤務されているので、将来ああいう風に生きていきたいな、という一つのロールモデルが校内にあることは盲学校の強みでもあると思います。視覚障害になられて辛い思いをされている生徒さんが、先生との出会いによって人生を取り戻した、っていうような経験を積まれると、今度は自分が次から上がってくる皆さんを安心して暮らせるように接してあげようと思ってくださるいい環境が生まれることになると思いますね。

 

盲学校には視覚障害のある方たちを社会に繋いでいくというような役割もひょっとしたらあるかもしれませんね。

 

取材日:2017年4月13日

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